2010年8月23日月曜日

スパイ映画を語る。②映画『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』 を鑑賞して・・・。

 スパイ映画・『007』も好いけれど、実話をもとに製作された「スパイ映画」は、アクションシーンこそありませんが、フィクションの世界とは異なる面白さを我々に提供してくれるものです。さて、「スパイ映画」を素材にした「酒の肴」・二品目です。

先ごろ、アメリカでロシアのスパイが大量摘発され、ロシアが押さえていた旧西側スパイと交換されるという事件が起きました。まるで古いサスペンス映画を倉庫から引っ張り出して見せられているようで、まあ驚きで文字通り世界の注目を集めました。摘発されたスパイたちが、いかなる「情念」のもとに、どんな「獲物」と「成果」を上げていたのか、まだよくわからないそうです。ただ、市民生活にとけ込んだ暮らしぶりや経歴を見ると、ヒットエンドランのような短期の工作員ではないのでありましょう。

 昨今は、今回紹介する「フェアウェル」の時代のような、世界大戦につながりかねないような緊迫感はありませんが、家庭人を装いながら(いや、実際に家庭人だったのでしょう。)、任務に忠実であろうとした「21世紀のロシアのスパイたち」の心の風景は、どんなものだったのでしょうか。美人がいたからというわけではなく、これは将来必ず味のある映画になると小生は思うのです。特に、これから紹介する映画『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』を鑑賞した後には・・・。

「真実」であるが故に、迫り来るものを感じます。「真実」であるが故に、主人公となるスパイたちの人間味に酔いしれ、彼らに哀愁を感じるのです。そして、「世界外交陰謀の恐ろしさ」も味わうことになります。

(映画『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』)

 20世紀最大のスパイ事件のひとつと言われる「フェアウェル事件」、それは1980年代初頭ブレジネフ政権下のソ連で起りました。KGBのグリゴリエフ大佐(実名:ウラジミール・ヴェトロフ)が、自らが所属するKGBの諜報活動に関する極秘情報を、当時、東西冷戦時代の敵陣営であるフランスに受け渡したのです。しかもこの超大物スパイが提供した莫大な資料には、ソ連が長年調べ上げたアメリカの軍事機密や西側諸国に潜むソ連側のスパイリストなどが含まれ、まさに世界のパワー・バランスを一変させかねないほどの破壊力を秘めたトップシークレットでありました。だから、一般人は、この事件についてそれほど知りえないのです。グリゴリエフのコードネーム「フェアウェル(いざ、さらば)」を冠して「フェアウェル事件」と呼ばれるこの史上空前のスパイ事件は、実際に当時のソ連を震撼させ、アフガニスタン侵攻の失敗とともに、のちの共産主義体制崩壊の大きな切っ掛けになりました。

 なぜ、スパイ・「フェアウェル」は祖国を裏切るという死と背中合わせのリスクを冒したのでしょう。「世界を変えてみせる。祖国・ソ連のために、そして現在の自分を“国家の犬”と批判する次世代を生きる息子のために・・・」という思いが、彼を駆り立てたのです。

事実は小説よりも奇なりであります。今回紹介する作品・フランス映画『フェアウェル/さらば、哀しみのスパイ』は、そんな時、東西冷戦構造崩壊につながったともいわれる、実際の大型スパイ事件をドラマにした作品です。ジェームズ・ボンドのような秘密工作員が大活躍する? ノーであります。祖国と家族を愛し、よれよれに疲れ、しかし、一筋の希望を捨てなかった中年男・KGBのグリゴリエフ大佐(実名:ウラジミール・ヴェトロフ)が世界を動かしたのです。

 舞台は1980年代初め、ブレジネフ体制末期のソ連。

 すべてに行き詰まった祖国に絶望し、再生のためには体制を崩壊させ、新たな革命を経るしかない。こう決意したKGB(ソ連国家保安委員会)のグリゴリエフ大佐は、フランス人技師ピエールを通じ、機密情報を西へ流し始める。まず、西側のトップシークレットがソ連に漏れているという事実と証拠。そして、ついには西側で活動しているソ連のスパイたちの所在も知らせます。

 米国のホワイトハウスやCIAのトップは、ソ連への情報漏えいの実態を知ってがく然とする一方、大佐の情報でスパイを大量摘発し、ソ連の海外諜報(ちょうほう)活動網を壊滅状況に追い込みます。しかし、国家や国際パワーゲームの当事者である為政者たちには、自分たちが利用するスパイの個人的な思いなどどうでもよく、まして彼らの友情や家族愛など想像さえしなかったでありましょう。しかし、この作品は彼らの友情や家族愛などを見事に描いたのであります。

初めは素っ気なかったが、次第に友情を深めるグリゴリエフ大佐とピエールが、この映画の主人公です。この大佐は実名ウラジミール・ヴェトロフ、事件当初53歳でした。スパイ史であるJ・T・リチェルソン著「トップシークレット」(太陽出版)によると、ヴェトロフはKGBで科学技術のスパイを担当する第1総局のT局幹部となっております。60年代にフランスのパリに駐在した経歴があり、その時知り合った実業家を通じ、手紙でフランスの防諜機関DSTに接触、情報提供を申し出ます。DSTはヴェトロフに英語で「フェアウェル(いざ、さらば)」という暗号名を与えます。

 グリゴリエフ大佐から提供される情報によって、科学や技術に関しソ連が西側から収集していた膨大な情報が分かり、設計書や解析がおびただしく開示されていきます。西側で活動する「ラインX」という大量のKGB要員のリストも明らかになります。勝負あった、である。

 「フェアウェル」の活動は長くは続きませんでしたが、その効果は決定的だったのです。もちろん、グリゴリエフ大佐彼の命運は波乱万丈です。詳細は、どうぞ劇場で・・・。

映画では、グリゴリエフ(ヴェトロフ)大佐と、情報受け取り役のピエールの次第に深まる友情と、双方の家庭内の亀裂、愛憎があざなえる縄のように描かれます。

 大佐は1955年に大学を出た、理工系であります。そのころ、ソ連は宇宙ロケット開発競争で米国をリードし、スプートニクの打ち上げ成功が世界を驚かせました。有人衛星もソ連が初めて成功させました。そのころを誇らしげに大佐が回想するシーンがあります。印象深いシーンです。ソ連にも栄光の時があったのです。 だが、80年代。その栄光は薄れ、情報を盗むことでしか西側との科学競争についていけない国の実態に大佐は絶望します。

一人息子は遠い西側の自由にあこがれ、手に入れたロックバンド「クイーン」の音楽テープに夢中となります。この子の時代には新しい国に、と大佐はひそかに願います。発覚、破局の時がくる。大佐から情報を受け取っていたフランス技師・ピエールは妻子を車に乗せて雪の道を必死に疾走し、国外脱出を図ります。そして、仰天すべき事実を知ることになります。そこにはむき出しの国家のエゴ、裏にうごめくスパイの素顔があったのです。

「世界を変えてみせる。祖国・ソ連のために、そして現在の自分を“国家の犬”と批判する次世代を生きる息子のために・・・」という信念が、ひとりのスパイを創り上げたのです。しかし、「ソ連のため・・・」を世に問うには時期尚早でありました。なにしろ、ブレジネフ政権下です。真実を知るまでは、大佐の家族は、「大佐は国家の犬」、という認識さえ持っていました。「国家の犬」が「ソ連を変える」という信念を持ってスパイ行為をしていたのですから、事実は小説よりも奇なりであります。

スパイ映画でありますが、それはそれは上質なハードボイルド作品であります。どうぞ、グリゴリエフ(ヴェトロフ)大佐とピエールの友情に酔いしれて下さい。そして、先ごろ、アメリカで摘発された「ロシアのスパイ」、彼ら彼女らの思いを想像してみて下さい。上質なハードボイルドが創造できませんか・・・・。

ジェームズ・ボンドのような秘密工作員が大活躍する? ノーであります。

でも、「スパイ映画」、面白いですぞぉ~。

スパイ映画を語る。①映画『敵こそ、我が友』 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~

 スパイ映画『007』も好いけれど、実話をもとに製作された「スパイ映画」は、アクションシーンこそありませんが、フィクションの世界とは異なる面白さを我々に提供してくれるものです。今回は、そうした実話に基づいて製作されたスパイ映画を2作品、2回に分けてご紹介しましょう。こうしたスパイ映画は「真実」であるが故に、迫り来るものを感じます。「真実」であるが故に、主人公となるスパイたちの人間味に酔いしれ、彼らに哀愁を感じるのです。そして、「世界外交陰謀の恐ろしさ」も味わうことになります。

(映画『敵こそ、我が友』 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~)

『クラウス・バルビー』という人物を知っていますか? 小生は、この人物の存在を、映画『敵こそ、我が友』を通して初めて知りました。彼は、1935年22歳でナチス・ドイツ親衛隊に所属してから、1987年フランスでの裁判で“終身刑(フランスは死刑がないので)”を宣告されるまでに、残虐で欺瞞に満ちた人生を送ります。本作品は、彼の人生を、「オーラル・バイオグラフィー」(いろんな人が彼について話すことで、その人物を浮かびあがらせる特殊な手法)の手法で描いた、ドキュメンタリー作品です。全編、彼に関わった人々のインタビュー(彼・本人のインタビューも含む)と、裁判映像で構成されています。

彼は、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州で生まれ、1925年に、父親の転勤に伴いトリーアへと移動しました。1933年には、学生の身分ながら当時ドイツで勃興してきたナチス党のために働き、1935年には親衛隊情報部に入ります。 1939年9月に第2次世界大戦が勃発し、1942年にはドイツ占領下のオランダに赴任し、その後、フィリップ・ペタンが首班を務める親独政府であるヴィシー政権下のフランスのディジョン、リヨンに赴任します。1945年5月の終戦までの間に、ヴィシー政権下のリヨン市の治安責任者として対独抵抗運動を鎮圧する任務に就いており、8千人以上を強制移送により死に追いやり、4千人以上の殺害に関与し、1万5千人以上のレジスタンス運動の参加者に拷間を加えた責任者とされています。しかし実際には、この数字をはるかに上回る数のレジスタンスのメンバーやユダヤ人を虐殺した責任者と考えられており、また、孤児院に収容されていた44人の子供の虐殺に対する責任者とも言われたほか、レジスタンス指導者だったジャン・ムーランを逮捕し死に追いやったとのちに供述しています。フランス人は、彼に『リヨンの虐殺者』という異名を与えたそうです。

大戦後、本来ならばすぐにでもニュルンベルク裁判などの連合軍による裁判で裁かれてもおかしくなかったのですが、アメリカ軍は、フランス政府が戦犯として追求するバルビーを、当時ヨーロッパで始まりつつあった冷戦下における対ソ及びドイツ共産党員に対する情報網の設置に役立つ人物と判断し、1947年からアメリカ陸軍情報部隊(CIC)の工作員として利用します。

やがてフランスの諜報機関は、アメリカがバルビーをかくまっているという事実を嗅ぎつけ、アメリカにバルビーの引き渡しを要求しはじめました。しかしフランス政府の度重なるバルビー引き渡し要求にもかかわらず、バルビーの利用価値を高く評価していたアメリカは引き渡しを拒否し続けます。フランス政府により高まる引き渡し要求に、アメリカはバルビーを国外に逃すことを画策し、バルビーはCICが用意した「クラウス・アルトマン(Klaus Altmann)」名義のパスポートと必要書類一式を受けとり、1950年12月に家族と共に反共産主義のバチカンの庇護のもとに南アメリカに旅立ち、ファン・ペロン政権下のアルゼンチンを経て、1951年4月23日に家族と共にボリビアのラパスに到着します。フランスに彼の素性を察知されると、アメリカは『ラットライン』(ねずみの抜け道)と呼ばれた、逃走ルートを用意しました。しかも、この策動には、バチカン右派の神父たちが深く関わっていました。彼に限らず、バチカン右派の聖職者によって、ナチス残党の多くは海を渡ったようです。

1951年、彼は偽名『クラウス・アルトマン』を使い、ボリビアに潜入します。当時のボリビアは、冷戦下においてアメリカが支援する反共的な軍事政権の支配下にあり、戦前からのドイツ系移民の影響力も強かったこともあり、チリなど周辺国に住む元ナチス党員らと連絡を取り、同時に同国の軍事政権との関係を構築していました。そうしたなか、彼は、1957年10月7日にはボリビア国籍を取得することに成功し、この後数十年間にわたり、ボリビアの軍事政権とアメリカの事実上の庇護のもとに、バルビーはドイツ系ボリビア人の「クラウス・アルトマン」として、1964年から政権を握ったレネ・バリエントス・オルトゥーニョ将軍をはじめとする、ボリビアの軍事政権の歴代指導者の治安対策アドバイザーを務めることとなります。ボリビアの軍事政権のアドバイザーとして、バルビーは同国内で活動していた共産主義組織や反政府ゲリラ組織だけでなく、労働組合などの左翼シンパと目される組織に至るまで目を光らせ、後には1967年10月に同国の軍事政権とCIAの協力の下で行われたチェ・ゲバラの身柄確保と処刑にも関与したと報じられました。また、元ナチス党員とともにナチス再興のための組織を設立したほか、イタリアの極右政党の「イタリア社会運動(MSI)」幹部で元フリーメイソンの「ロッジP2」代表のリーチオ・ジェッリとも深い関係にあった、とされます。さらにオーストリアのシュタイア・プフなどの大手軍需企業との間の武器取引会社や海運会社を設立させて大金持ちとなっただけでなく、海運会社の役員の「クラウス・アルトマン」を名乗り、自らを戦争犯罪人ということで指名手配させていたフランスにも渡航していました。

しかし1972年に、ペルーのリマ市で発生した殺人事件の被害者と容疑者に関係のあったバルビーはリマ市警に眼をつけられます。そしてこの実業家が、実はフランスの破毀院によって死刑の判決がでている戦争犯罪人であることをつきとめられます。事件後、バルビーは公然と姿を現わし、自分の正体を認め、ボリビアのテレビに出演して、ナチス親衛隊員の過去を礼讃しました。世界のマスコミが騒然となりボリビアに殺到しました。バルビーはマスコミに『回想録』を売りつけ、戦後、西ドイツの「ゲーレン機関」に関係していたことを暴露して、世界を驚かせます。またバルビーは「戦争犯罪と考えられるいかなる行為にも関わっていない」と強く主張します。

その後もバルビーは、1980年6月に政権を奪取した民主人民連合(UDP)による左派政権に対して、同年7月17日ルイス・ガルシア・メサ・テハダ将軍が起こした軍事クーデターにも関与するなど、ボリビアの軍事政権との関係を続けました。なお、ボリビアの歴代軍事政権は、フランス政府によるバルビーの引き渡しを、バルビーが「ボリビア人」であることを根拠に公然と拒否し続けました。しかしガルシア政権は、バルビーが深く関与した左翼活動家への弾圧などにより国民からの反発を受けただけでなく、コカインの生産および輸出への深い関与が証明されたことから、後見人的立場であったアメリカの支持を失い、翌年に退陣することとなりました。

1982年、ガルシアの後を継いだボリビアの軍事政権が倒れ社会主義政権にとってかわられるとともに、バルビーをフランスに引き渡す声が高まります。翌1983年に、70歳になったバルビーは、ボリビアと同じく社会主義(フランソワ・ミッテラン)政権下にあったフランスに引き渡されました。1984年からリヨンの法廷で始まった裁判は世界中の注目を浴び、裁判においてバルビーは、「自分はフランスがアルジェリアでやったのと同じことをしたにすぎない」と主張し物議をかもした他、フランス国内の右派からは、「ヴィシー政権下で叙勲を受けるなど評価を高めたミッテラン大統領の罪状から、目をそらさせるための裁判である。」との意見もありました。しかし最終的にバルビーは終身禁固刑を宣告され、直ちにフランス国内の刑務所に収監されたのです。その後1991年9月に刑務所内で病死しました。

作中の様々なインタビューを通して、スパイ小説をも凌駕する、『真実』、が明かになります。

この作品は、「現在でも、あらゆる国家・政府は得体の知れない組織や個人と関わって、外交諜略・外交成果を上げている」という事実を、我々の前に明かにします。『外交とは、何のために存在するのか』、『外交成果とは何か』ということを、改めて我々に問う作品でした。

嘗て、『リヨンの虐殺者』という異名を与えられたバルビーが、アメリカやカトリックの総本山・バチカンからその利用価値を見出されたという「歴史事実」を私達は、一体どのように評価すればよいのでしょうか。自国の価値観に敵対するものを徹底弾圧するためには、巧みなスパイ戦術に長けたバルビーは非常に有効でありました。そして、この「利用価値あり」とされた一人のスパイを、「ラットライン」やバチカンのバックアップで生き長らえさせることを可能にしたのです。

唯、何よりも、これは事実・・・、この一点に、小生は先ず圧倒されてしまうのです。いやはやなんともです。

「スパイ」を「酒の肴」に、次回、もう一つお付き合い下さい。

では、また・・・。

2010年8月11日水曜日

 『夢の中の夢の中の夢』で繰り広げられるアクションサスペンス、もう最高!(映画 『インセプション』に乾杯!)

 「バッドマン」を変革した、あのクリスファー・ノーランが、やってくれました。誰も思いつかないであろうストーリー展開を秘めたサイコサスペンス、その名も『INCEPTION(“植えつける”と言う意味)』。

昨今は、そのほとんどが「原作アリ」というなかで、この作品『インセプション』はノーランの完全オリジナル脚本です。この物語、要するに大企業のトップ・サイトー(渡辺謙、演ずる)が、ライバル会社の社長息子を陥れてライバル会社を解体させる、というごくごく平凡なストーリーです。

では、何が「やってくれました、クリストファー・ノーラン!」なのでしょうか?それは、直ちに映画館へ行ってこの作品をご覧になれば判ります。それでは皆さん、映画館でお会いしましょう・・・、と言いたいところですが、それでは何だか判らないと思いますので、以下、熱く語りましょう。

まず、どこが「誰も思いつかない奇想天外なストーリー」なのでしょうか?それは、「サイトーがライバル会社の社長息子を陥れる手段」が斬新なのです。陥れるために用いられる手段は、なんと「夢」です。

しかも、「夢」は、陥れられるロバート(ライバル会社の社長息子)と、陥れる産業スパイ集団(ディカプリオ演ずるコブを中心とする“栄光のビッグ・ファイブ”)達とで共有されなければならない。普通、「夢」を用いて産業スパイ活動を行うというのは、「エクストラクション(作品表題のインセプションの対義語)」と解釈され、これは他人の頭の中に侵入して、カタチになる前のアイディアを盗むことなのです。しかし、今回の場合、用いられる手法は「インセプション」。それは、陥れるターゲットの意識下に「あるアイディア(この場合、会社が破滅するアイディア)」を植えつける行為なのです。

大物実業家・サイトーが雇い入れた、「産業スパイ集団」のメンバーと役割は以下の通りです。

1. 抜き取り屋のチームリーダー・コブ。

2. 複数の人間が夢の異なる状態をシェアできる薬を調合する調合師・ユスフ。

3. 夢の世界に侵入し、様々な人物に姿を変えてターゲットを翻弄する偽造師・イームス。

4. ターゲットが現実だと騙される世界を頭の中に創る設計士・アリアドネ(チーム唯一の女性)。

5. コブの心強い相棒。綿密に任務を進め、平静なポイントマン・アーサー。

具体的にストーリーを紹介しましょう。〈ネタバレ、注意!〉

主人公のドム・コブは、人の夢(潜在意識)に入り込むことでアイディアを“盗み取る”特殊な企業スパイ。 そんな彼に、強大な権力を持つ大企業のトップのサイトーが仕事を依頼してきた。依頼内容はライバル会社の解体と、会社解体を社長の息子ロバートにさせるようアイディアを“植えつける(インセプション)”ことだった。極めて困難かつ危険な内容に一度は断るものの、妻殺害の容疑をかけられ子供に会えずにいるコブは、犯罪歴の抹消を条件に仕事を引き受けた。

古くからコブと共に仕事をしてきた相棒のアーサー、夢の世界を構築する「設計士」のアリアドネ、他人になりすましターゲットの思考を誘導する「偽装師」のイームス、夢の世界を安定させる鎮静剤を作る「調合師」のユスフをメンバーに加えた6人(依頼人のサイトーも含む)で作戦を決行。首尾よくロバートの夢の中に潜入したコブ達だったが、直後に手練の兵士たちによって襲撃を受けてしまう。これはロバートが企業スパイに備えて潜在意識の防護訓練を受けており、護衛部隊を夢の中に投影させていた為であった。インセプション成功の為に更に深い階層の夢へと侵入していくコブたち。次々と襲い来るロバートの護衛部隊に加え、コブの罪悪感から生み出されたモル(=コブの妻)までもが妨害を始めた。さらに曖昧になる夢と現実の狭間、迫り来るタイムリミット、果たしてインセプションは成功するのか・・・、となるのです。

しかも、数学的にストーリーを面白くしているのは、この「夢」が「3層構造」になっているということ。

少々解説しますと、以下のようになります。しっかり話しに付いて来て下さい。

まず、「夢の世界」は、現実の世界より時間の進み方が速い、と言うことを理解して下さい。ですから、目覚める前に夢の世界から出るには、自分を殺すか、外部から衝撃を与えてもらう(=「キック」と言います。)しか方法は無いのです。ですから、「夢の階層」を次の階層へと進む時は、チームの誰かが、「(現在入り込んでいる)夢の階層」に残留しなければならないのです。

また、夢の世界を創る際、記憶をもとに設計すると夢と現実の区別がつかなくなる危険があります。

(現実) ロサンゼルス行き飛行機の中(飛行機はサイトーが全部買い占める。)

1. (夢の第一階層での作戦) ロサンゼルスを舞台に、ロバートが父との関係を見つめなおすように誘惑し、遺言の存在を意識させる。 「残留」は調合師のユフス。

2. (夢の第2階層での作戦) とある高級ホテルを舞台に、ロバートに「自分で何かを作りたい」という意識を刷り込み、「遺言書」を狙う法律顧問のブラウニングにエクストラクト(=夢を見ている間に、その潜在意識に入り込みアイディアを抜取ること)を仕掛けるとロバートに思い込ませる。「残留」は、アーサー。

3. (夢の第3階層での作戦) 雪山にある病院を舞台に、ロバートを病床の父親と引き合わせ、「父のあとを継ぐのでなく、自分の道を進む」というアイディアを植えつける。「残留」は、イームス。

どうですか?付いて来られましたか?

夢と現実という二元世界をあれこれ楽しむ流儀は昔から人類に染みついています。仮想空間を作らないと誰も現実に耐えられないからでしょうか。小説、演劇、アートなどはそもそも必要に応じて作り出された仮想空間そのもので、人はそこに入り込み、別のリアルを模索するのであります。    

ドラッグによる脳内神経の化学反応で現実を攪拌する方法は、様々な映画作品に取り入れられています。また、{夢の中の夢}まではシェークスピアも用いましたが、この「インセプション」と言う作品のなかで、ロバートに{植え付け}任務を遂行する「仮想空間」は、『夢の中の夢の中の夢』という深層なのです。非常に、緻密なストーリー構成で、しかも、仮想空間・夢の3層構造は同時進行していきますので、スリリングでもあります。本当に、このようなアイディアに完敗であり、乾杯なのです。

どうぞ、是非、この数学的な緻密でスリリングなストーリー構成に、あなたも劇場で酔いしれてみて下さい。

本日は、見事な「ストーリー構成」の紹介が「酒の肴」となってしまいました。でも、このような「肴」も格別です。

では、また・・・。

2010年8月2日月曜日

悩むこと、それは素晴らしいこと。映画『パリ20区、僕たちのクラス』を見て感じたこと。

映画:『パリ20区、僕たちのクラス』は、移民の子弟の多い「パリ20区」(⇒ 小生、この「パリ20区」、全く存じ上げませんでした。)地区のある中学校で、理想主義に燃えた教師の奮闘と生徒とのやりとりを、ドキュメンタリーかと見まがうタッチで描いた作品です。

(1)映画について
 
第61回カンヌ国際映画祭で、審査委員長ショーン・ペンが絶賛しパルムドールに選んだ奇跡のような傑作、といわれています。21年ぶりに、フランス映画にパルムドールの栄誉をもたらしました。新聞や雑誌の映画評が、あまりにも高評価なので、小生も、久しぶりに“岩波ホール”へ足を向けました。

この映画が、多くの方々から評価を受けるのは主に、以下の3点です。

1. ドキュメンタリーとしか思えないほどの自然な演技に驚嘆し、先の読めないストーリー展開に胸を躍らせること。

2. フランソワ役の原作者フランソワ・ベゴドーをはじめ、映画に登場する教師も生徒もすべて素人なのに、ローラン・カンテ監督による丹念なワークショップの賜物か、別人になり切る見事な演技を見せてくれること。

3. 安直な和解とは無縁なリアリティに満ちた展開が、観る者を唸らせること。つまり、奮闘する教師・フランソワの思い描くように事態は展開しないのです。しかし、だからこそ、オーディエンスが、いつの間にか、作品に登場する生徒の誰かに、自らの中学生時代に自分が出会ってきた誰かを重ね合わせ、感情移入せずにはいられなくなるのです。

原題は『Entre les Murs』で、直訳すれば「壁の間で」となりますが、なぜか日本人のブログやWeb上での紹介では「壁の中で」と訳しているケースが多いそうです。原題は、教室内コミュニケーションにおける教師と生徒との間の障壁、そして生徒の中での民族間の障壁を象徴しているものだと思います。原作者本人が脚色に携わると同時に自ら教師役として出演しています。

(2)ストーリー

舞台は、移民が多く暮らすパリ20区の公立中学校・新学期の教室。この中学では生徒の大半が移民の子弟で、母語も出身国もバラバラ。そんな中で、正しい国語を身につけさせることこそ生徒たちの将来の幸福につながるという信念を持つ主人公のフランス語教師・フランソワが、様々な出身国を持つ24人の生徒たちが混じり合う教室のなかで、思いがけない反発や質問に翻弄されてしまいます。現実は情熱だけで解決できるような簡単なものではないのです。

例えば、去年は素直だったクンバは反抗的な態度で教科書の朗読さえ拒否する始末。また、自己紹介文を書かせる課題が大きな波紋を巻き起します。教室の中は真剣勝負の場です。教師も生徒も真っ向からぶつかり合います。ゆえに言葉というものの重要性が浮き彫りになります。誤解も批判も怒りも失望も、そして希望も言葉あってこそのもの。子どもたちのフランス語の力は、確かに日常会話ならほぼ不自由なく使えます。しかし動詞の活用は不確かだし、文語で主に使われる接続法の活用や、抽象的な単語は十分な理解が出来ない状況…。

 さらに、フランス人の親は、この学校はレベルが低いから自分の息子は転校させたい、と言い出すような学校であります。始業のベルが鳴ってもお喋りはやまず、授業に身が入らない子どもも多いのです。教師の中でも、レベルの低い馬鹿どもを相手に小学校で教えるようなことから教えなきゃならないのは耐えられないと愚痴をこぼすような者がいる状況です。ちょっとすればすぐ注意力が逸れたり、教師の指示に従おうとしない生徒たちに手を焼く毎日です。生徒の反抗的な態度に、フランソワ自身、頭に来て椅子を蹴飛ばして憂さを晴らすことも・・・。

しかし、生徒たちが教師を恐れなくなり指示を聞かないからと、ポイント減点制を導入し、一定のポイントに達した生徒は教育委員会に退学を諮ることにしようという一部の教師の提案には、フランソワは断固反対する。また、親がフランス語を話せず、本人も自分の学業に自信を持てない生徒の長所を発見して、彼の才能を発揮できる機会を作り、学業を続けさせる意欲をかき立てることにも成功します。

(そのようななかで、決定的な事件が起こります。)

生徒の成績評価会議に、生徒代表としてオブザーバー参加していた二人の女子生徒が、無責任にもそこでの会議内容をクラス内で話し、成績の悪い生徒を馬鹿呼ばわりしたことに対し、フランソワは怒って、ついその生徒をpetasse(ずべ公、売春婦)と呼びつけてしまうことで、フランソワのクラスにおける信用は一夜にして瓦解してしまいます。彼の努力は一部功を奏しながらも、結局はほんの一瞬の失敗により全ての努力は水の泡となり、生徒たちとフランソワの間の信頼関係は崩壊するのです。さらに手を掛けた生徒から退学者も出てしまう。さて、フランソワは、生徒達との信頼関係を取り戻せるのか・・・。

(3)監督について 

監督のローラン・カンテは1961年フランス、ドゥー=セーヴル県、メル生まれです。1999年『人材 (Ressources humaines)』で労使対立に起因する労働者の苦難を描いて国際的に注目されます。さらに2001年リストラされたものの家族に悟られないよう仕事に行くふりをする男を描いた『時間労働 (L'imploi du temps)』、2005年、1970年代末を背景に、ハイチへ黒人男を漁りに行く3人のフランス人白人中年女性を描いた『南へ (Vers Le Sud)』を撮っています。

今回のこの作品で、カンテ監督が子供たちから自然な演技を引き出した秘密は、撮影前のワークショップにある、と言われています。中学校で希望者を募って週1回、約7ヶ月間、彼ら一人一人の個性を把握し、能力を探り続けた、そうです。そして、最後まで通い続けた生徒たちの中から、この24人を選んだそうです。子供たちの設定は、すべてフィクションです。彼ら自身の性格を少し取り入れたキャラクターもあるが、ほとんどが自分とは全く違う生徒を演じています。監督を始めスタッフ、キャストの大人たちは、彼らの潜在能力に感動した、とコメントしています。 

(4)小生の感慨

教師たちは、決して聖職者ではなく、悩み苦しむ人間らしい労働者として描かれます。

小生、様々な出会いを求めて日々活動しておりますが、今、小生が語り合いたい方、それは「希望を求めて、悩み苦しみ、日々試行錯誤しておられる方」です。主人公が、真面目であるが故に、生徒の不真面目さが許せず生徒とぶつかり合う姿には、「俺、あんたの気持、よく判るよ!」と声を掛けたくなります。

試行錯誤を行う人間は「不器用」という言葉で、片付けられてしまう昨今ですが、試行錯誤を避けていては「希望」を勝ち得ることは不可能だと思います。私達は、無人島で暮らすロビンソー・クルーソーではないのですから・・・。

自分のセンスを全く理解しようとしない方とのコミュニケーションは非常に不愉快なものです。しかし、この不愉快さを、いかに克服していくのか、に悩むのです。この映画の主人公も、反抗的で、自己中心的で、ヒトの気持(=紳士に生徒を心配する気持)を理解しようとしない生徒と対峙することは非常に苦痛であった筈です。しかし、彼は試行錯誤を続けた。小生、ここに彼と共感するのです。全てが生々しく、あたかもドキュメンタリーの様にこの先どう転ぶか分からない緊迫感に溢れている「リアリティ」を突きつける作品です。

それにしても、成績判定会議に生徒代表がオブザーバーとして立ち合うなど、彼我の学校文化の差には驚かされます。また生徒たちも、騒いだりするとは言え、基本的には先生に注目して欲しいし、先生とコミュニケーションを取ろうとする姿勢が、一般的な日本人あるいは日本の学校システムとかなり違うように思われます。

まぁ~、ここで日仏間の学校教育のありかたを論ずるつもりはありません。小生、スクリーンのなかで、本気で悩んでいる教師・フランソワと出会い、「悩むこと、それは素晴らしいこと」と言う思いを強くしました。そうした気持を、今回はお伝えしたかったのです。

 さぁ~、本日の「酒の肴」、御堪能頂けましたでしょうか。それでは、また・・・。

2010年7月19日月曜日

あなたは、『愛だけが欲しかった、シスタースマイル』を知っていますか・・・。 

先週の朝日新聞土曜版beの「song 歌の旅人」にて、『スール・スーリール 「ドミニク」』について掲載されていました。実は、この人物、現在公開中の映画 『シスタースマイル ドミニクの歌』の主人公であり、実在の人物なのです。あなたは、この人物のことをご存知でしたか。

彼女は、ベルギーのドミニコ会フィシェルモン修道院に入ってシスター・リュック・ガブリエルを名乗り、修道院でギターを習い始め、やがて聖ドミニコを讃えた歌『ドミニク』を作曲します。彼女が口ずさんだ「ドミニク」を聞いた、修道院のトップが、この曲をドミニク修道院のPRとして世に出すことにします。 そして、音楽の才能を認められ、他の尼僧たちに励まされて1963年にレコードを発表となります。すると、その明るいメロディと美しい歌声が評判を呼び、彼女は“シスタースマイル”の芸名でレコードデビューを果たし、またたく間に大ヒットを記録することになります。このアルバムに収められた『ドミニク』が人気急上昇し、全米のヒットチャートに入ります。ビルボードではシングル(Hot 100)・アルバムの両チャートで1位を獲得しました。

 まさに、ヒトは、「彼女は誰もがうらやむような人生を送った。」と思うのです。

しかし、彼女の人生には、

母親との確執、自分を慕う少女・アニー・ペシェル(Annie Pécher)からの逃避、ギターとの出会い、ローマ・カトリックの開放政策、「ドミニク」のヒット、不合理なレコード契約、修道院を飛び出し慕い続けてくれていたアニーのもとへ・・・・・・そして、二人での自殺。

と複雑怪奇なストーリーがあるのです。こうした彼女の「人生」を丁寧に追ったのが、現在公開中の映画 『シスタースマイル ドミニクの歌』なのです。

まず、映画について触れる前に、彼女の経歴をインターネットから引用します。

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ラ・スール・スーリール : La Sœur Sourire (1933年10月17日 -1985年3月29日 )はベルギーの歌手。ザ・シンギング・ナン(The Singing Nun)の名でも知られる。

本名、ジャンヌ=ポール・マリ・デッケルス(Jeanne-Paule Marie Deckers)。(以下、ジャニーヌ・デッケルス)

第二次世界大戦中は一家でパリに居住。ここで父はレジスタン運動に参加していた。1945年、一家はベルギーに帰国。1950年代末のベルギーは、まだまだ保守的な時代である。そうしたなかにあって、自分の人生を自分で選ぶことを願った女性、ジャニーヌ・デッケルス。サン・アンリに住んで学校に通ったが、1953年に単身パリへ留学し、美術学校に学ぶ。美術教師としての訓練を受けてブリュッセルに戻り、女子校で教壇に立った。

両親はベーカリーを営んでおり、両親は彼女に継いで欲しいと思っていたが、独立心旺盛なジャニンが選んだ道は修道院に入ることであった。その後、1959年に母親の押しつけに反発してギターを片手に修道院の門を叩く。そして、ベルギーのドミニコ会フィシェルモン修道院に入ってシスター・リュック・ガブリエルを名乗る。

修道院での厳格な生活に戸惑いながらも、この修道院でギターを習い始め、修道院の中でもギター片手にプレスリーの曲などをやり、年長の尼に怒られる。だが彼女が口ずさんだ「ドミニク」を聞いた、修道院のトップが、これはドミニク修道院のPRとして世に出すことにした。 シスターたちや院長から音楽の才能を認められたジャニーヌは、やがて聖ドミニコを讃えた歌『ドミニク』を作曲する。そして、作曲を始めたところ音楽の才能を認められ、他の尼僧たちに励まされて1963年にレコードを発表。その明るいメロディと美しい歌声が評判を呼び、彼女は“シスタースマイル”の芸名でレコードデビューを果たし、またたく間に大ヒットを記録する。このアルバムに収められた『ドミニク』が人気急上昇し、全米のヒットチャートに入る。ビルボードではシングル(Hot 100)・アルバムの両チャートで1位を獲得した。

彼女は一夜にして国際的なスターとなり、スール・スーリール(シスター・スマイル)の芸名を名乗って、1964年には『エド・サリヴァン・ショー』に出演した。だがジャニンの名前は出さず、「シスタースマイル」の名前でマスコミに出た。 1966年、彼女に関する映画『歌え!ドミニク』がデビー・レイノルズの主演で製作されたが、デッケルスはこの作品を「うそだらけ」と評して撥ねつけた。そしてジャニンは自分の名前が出ないことと、収益が全て修道院に入ったことなどで頭にきて、66年に修道院を出る。

自信に満ち溢れ、運命は己の力だけで切り開けると信じているジャニーヌは鼻もちならない少女。修道院に入っても勝手な行動を改めないなど、自ら決心して入門したのに驚くべき自覚のなさ。だが、「従順の掟」を破るほどの強い気持ちがあったからこそ名曲が生まれたのも事実。

1960年代後半は敬虔な宗教生活に入り、人前で歌うことをやめた。収入の大半は修道院に寄付していたが、1967年には音楽活動を停止。音楽的には新境地を開きつつあったが、デッケルスは徐々に忘れられた歌手になっていった。一つには、世俗的名声を軽蔑していたためでもある。1967年に出したセカンドアルバムの題名は"I Am Not a Star in Heaven"(私は天の星じゃない)だった。彼女は大変宗教的だったが、徐々にカトリック教会の保守性に批判の度を強めていき、最後には産児制限の支持者となった。1966年には、ジョン・レノンのキリスト教批判に共感していた。 1967年にはリュック・ドミニク(Luc Dominique)の名で、産児制限の賛歌『黄金のピルのために神の栄光あれ』を録音したが、商業的には惨憺たる失敗に終わった。

音楽活動を停止した後、10年来の親友アニー・ペシェル(Annie Pécher)と共にベルギーで自閉症児童のための学校を開いた。しかし1970年代後半(American Top 40の1978年7月22日の放送で報じられた)、ベルギー政府が彼女に対して5万米ドルの追徴課税をおこなうと発表した。これに対してデッケルスは、金は修道院に寄付したものであり課税の対象外となると主張したが、寄付だったことを示す領収書が存在しなかったため彼女の言い分は認められず、深刻な経済苦に見舞われることとなった。

1982年には芸能界への復帰を図って失敗している。

そして彼女はペシェルと共に睡眠薬と酒を過剰服用し、自殺した。ペシェルとの間に同性愛関係があったか否かは定かでないが、二人は共同に埋葬された。

映画ではこの二人の関係の最後を描いてないが、テロップで流れる。

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小生も、この映画を観るまでは、「シスタースマイル」のことは全く知りませんでした。この映画を観る限り、「シスタースマイル」と呼ばれた彼女は、修道女のイメージとはかけ離れた、まるで自虐区的なパンク・ロッカーの様に感じます。正しいと思った道理は曲げられない、「心の声」に従って生きるヒロイン。数々の軋轢と挫折、それでも信念を貫こうとする意志の強さは一種変人のようですらあります。束縛を嫌い、命令を拒み、短慮であるが、人を楽しませる愛きょうもある。しかし、そんな彼女も、やはり寂しかったのだと思います。

感情を純粋に放出する彼女は、あまり魅力的とは言い難い人間なのかもしれません。しかし彼女が口ずさむ親しみやすいメロディは、作品を見終わった後もしばらく耳から離れませんでした。教会は、彼女の「純真な心」を利用したのかもしれません。しかし、彼女は、「ドミニクの歌」をリリース後は、自信に満ち満ちて、全く周囲が見えなくなってしまいます。唯一の救いは、友人・ペシェルのみ。

映画は、できるだけ彼女の実像を再構築しようとする一方、彼女の態度にどんな評価も下しません。成功者としての栄光も、あとの凋落も、客観的な視点から同列に扱い、ジャニーヌという強烈な個性を浮き上がらせます。朝日新聞の記事の言葉をかりれば、「彼女は自分を丸ごと受け入れる絶対的な愛を求め続けました。だから、歌への大衆からの支持を、彼女は『絶対的な彼女に向けられた大衆からの愛』と感じた。」のでしょう。彼女にとって、「愛」とは、(他者から自分へ)与えられるべきものであって、自分が与えるべきものでなかったのかもしれません。ここに大きな「落とし穴」があったのは間違いないと思います。“レコード会社”と“教会のPR部隊”は、彼女のこうした純真な心利用し、「大衆からの彼女への愛」を巧みに演出します。しかし、それは彼女の「純粋さ」を踏み潰します。踏み潰されたら最後、彼女は破滅の道を辿ることになります。

あぁ~、ひとつの才能が、唯、一つの曲・「ドミニク」だけで閉じてしまいました。

非常に痛ましい、悲劇であります。スコッチを飲みながら、スクリーンのなかで、孤独にジンを飲んでいた彼女の姿を思い浮かべます。

小生には、栄光の道を登り始めた彼女の姿より、痛ましく崩壊していく彼女の姿の方が脳裏に焼きついています。唯、今は、絶対的な愛を求めた、孤独のヒロインに黙祷です。

2010年7月12日月曜日

『親愛なる、石ノ森先生』へ・・・。

天国の石ノ森先生へ・・・。

天国での生活は如何ですか。先生の『絵』で、天国の様子を下界の我々に教えて頂きたいものです。

先生の作品は、本当に『絵』が素晴らしい!と、思っております。数多くのクリエーター達も、「石ノ森先生の『イメージを“絵”にする能力』の素晴らしさ」を賞賛しております。「イメージを“絵”にする能力」というのは多くの感動を呼び起こします。「音」を“絵”にする、「言葉」や「概念」を“絵”にする、このような課題を先生は、見事に体現してしまいます。芥川は“地獄”を描くことを小説にかきましたが、先生には、是非,“天国”という概念を“絵”で表現頂きたいです。その“天国”の先に、希望を見出したいから・・・。

先生の“クリエーターの哲学”とは、『イメージを“絵”にする卓越した能力』が可能にした『萬画宣言』(“まんが”宣言、と読む)!(手塚先生によって確立された)“マンガ”(『漫画』でない)によって、「全てを語ろう!それは可能だ!」というのが、後年の先生の思いだったそうですね。確かに、88年ごろからは『日本の歴史』や『経済の仕組』なども「萬画」で表現しておられました。“ぶっとんだ”発想です。

また、先生は、『若手クリエーターへの伝承』ということを非常に意識されたそうですね。

『がんばれロボコン』『美少女仮面 ポアトリン』『ゼロゼロ ナイン ワン』『星の子 チョビン』といった作品は、「原作 石ノ盛章太郎」となっていても、現実は、先生はキャラクターデザインのみ手がけ、その他は若手クリエーター達の創作ですよね。そうした先生の思いを受けて、『幻魔大戦』『スカルマン』などは、「若手クリエーター達(宮崎先生も石ノ森チームで活躍しました。)が、既存の石ノ森作品に『プラスの価値』を加える方向」で、作品進化させました。ここには、素晴らしい「伝承」が感じられます。

伝承という意味では、『サイボーグ 009』と『仮面ライダー』という2作品は特筆されます。両作品とも未完です。詳細は章を改めます。

ところで、小生が一番好きな先生の作品は、『サブとイチ』です。『化粧師(“けわいし”と読む)も好きです。『サブとイチ』は、TV放送と雑誌連載が、小生が4か5歳のとき開始。TV放映をオンタイムで見ていました。コミックは、1999年に購入して全部読みました。今でも、時々コミックを押入れから取り出して読みます。

先生は、『TV放映』と『雑誌掲載』とを明確に分けて捕らえておられましたね。先生は、「TV放映を観る」という行為は子供達でもできるが、「雑誌を読む」と言う行為は少年・青年によって行われる、という認識をされていたそうですね。最近、『仮面ライダー』『キカイダー』といった作品のTV版とコミック版とを拝見する機会がありました。両作品とも、『コミック版』は、登場人物の深層心理描写が綿密に行われ、純文学作品のような内容であることを知りました。

 さて、『サイボーグ 009』について語りましょう。小生は、 1・2シリーズのTV放映とコミックを知っていました。『仮面ライダー』は『進化するヒーロー』として、『サイボーグ 009』は『変化しないヒーロー』として伝承させてほしい、というのが先生の思いだそうですね。『サイボーグ 009』・第3シリーズ終了後、先生は亡くなられました。しかし、そのなかの「2作品」が完成を見ないままになっております。

 内容は、ブラックゴースト団との戦いをおえたサイボーグ戦士たちが、『天使たちとの戦い』 『神々との戦い』を行うと言うものです。これを『完結』させてほしい、ということを先生は、生前、二人のご子息に依頼したそうですね。『完結編』のストーリーを長男(小野寺 ジョー:俳優・作家として活躍。しかし、石ノ森章太郎の長男であることは隠しておられます。)に、映像化を次男(小野寺 章:石ノ森プロダクション社長)に託されたそうですね。

 現在、『完結編』の1章から4章までが「小説 1巻」として出版されています。ここで、001から004までのことが描かれています。この作品の、『敵のブラックゴーストの正体は、人間の「悪の部分」が増殖させた細胞体』、『神々は、人間の“おろかさ”に幻滅し、人間は生存をかけて神々と戦う』という設定に興味を覚えます。こうした「イメージ」を、「映像」できる先生の「才」に敬服します。

『仮面ライダー』についても触れたいです。小生は、 1・2号ライダーの活躍をTV放映で観ただけです。
「仮面ライダー」は、「進化するヒーロー」、ですから現在もTV放映・雑誌連載されています。
歴史は、
①「1号」から「ストロンガー」までが第1期。
最後、7人のライダーが『悪の総統』と戦う、と言うストーリーです。「結局7人のライダー達が戦ってきた『悪の総統』は同一人物で、最後は宇宙へ脱出という設定です。この「第一期」に主人公を務めた俳優さん達には、基本、「高い運動神経」「バイクを操作する能力」「アクションスターとしての訓練」が求められました。当時、斜陽になった映画業界から、たくさんの若いクリエーター達が『仮面ライダー』の作成チームに加わり、再起をかけた若い意気込みが、素晴らしいパフォーマンスを体現した(最高視聴率30%)ということを、昨今知りまして感激しました。

②「スカイライダー」数本の映画作成を経て、「ブラックライダー」の誕生が、第2期。
石ノ森先生が携わった最後の「仮面ライダー」TVシリーズだそうです。ブラックライダー シリーズでは、「悪のライダー」と戦う、というコンセプトになります。『「自分の敵」は「自分』 『未完成の自分の進化』など、石ノ森作品の基本コンセプトが表現されています。キャラクターデザインセンスも抜群です。

③数本の作品作成を経て、石ノ森先生の死後、2000年から『平成ライダー シリーズ』として、第3期があります。私も、『平成ライダー シリーズ』というのは、全く知りません。唯、数本、最近鑑賞する機会がありました。そこで感じたのは、(我々が観ていた)第1期との差異です。以下、小生の差異を簡単に述べます。(Ⅰ)デジタル映像による映像。・(Ⅱ)主人公を演じる俳優は必ずしもアクションスターである必要はなくなった。俳優としての演技力を強く求められている。(例えば「仮面ライダー クウガ」の主役が、あのオダギリジョーさんだったのには驚きました。でも演技は素晴らしかったです。) ・(Ⅲ)設定コンセプトは複雑になり、1話完結でない。主人公も、『完全ヒーロー』でなく、「食事シーン」などもあるのには驚きました。そして、「仮面ライダー 龍崎」などは、13人の仮面ライダーが、最後のひとりになるまで互いに戦うというストーリーであったのには本当にビックリです。

『仮面ライダー』シリーズに関して、今日までに小生が思っていることを述べれば以下のようになります。
①『仮面ライダー』とは、コンセプトの設定・「毒」を感じるキャラクターデザイン・悩むヒーローなど、石ノ森作品の要素が終結した集大成作品だと思います。
②「進化しながら伝承される作品」としての一面を『仮面ライダー』は持っている。
③若いクリエーター達が、「活動・活躍の場」として、この『仮面ライダー』を育ててきた。

しかし、こうして改めて先生にお手紙を書き綴っておりますと、石ノ森章太郎という「クリエーター」の輝くパワーに叱咤激励されるような気持になります。「イメージを大切にする。」「伝承」「進化」、いずれもクリエーターには大切なことです。

本日、梅雨の雨を愛でながら、先生の『サブとイチ』を手にしております。何度読んでも、面白く、画面の斬新さには常に新たなる発見を見出します。

映画館では、『仮面ライダー』の新作が上映されております。さすがに、チケット売り場で、「仮面ライダー、大人・1枚」というのは恥ずかしいので、劇場公開作品は鑑賞することが困難です。劇場公開作品と言えば、古の『空飛ぶ幽霊船』などの作品は、小生、いまでもその内容を覚えております。衝撃的な作品でした。

もう、石ノ森先生の新しい作品を観ることはかないません。しかし、また、若きクリエーターが先生の「才」を継承し、新たな作品を我々に紹介して下さると思います。そんな若きクリエーターの出現を楽しみにしながら、ここに筆を置きたいと思います。

石ノ森先生、有難う御座いました。

2010年7月5日月曜日

『映画の音響効果』を考える。 (映画 『ミルコの光』を観て思うこと。)

昨今は、3Dやアイマックスやドルビーサウンドなどの登場で、映画の「視聴覚効果」は素晴らしい発展を体現しています。

そこで本日の「酒の肴」は、盲目でありながらその天賦の才能を生かし、日本でもロングランヒットの記憶が新しい『輝ける青春』を手掛けるなど、イタリア映画界の第一線で活躍するサウンド・デザイナー:“音の魔術師”ミルコ・メンカッチの、フィクションよりもはるかにドラマティックな少年時代の実話に基づいて創作された映画『ミルコの光』を紹介しながら映画の「音響効果」を考えてみたいと思います。

イタリアの映画界でサウンド・デザインを担当するミルコ・メンカッチは、この分野では第一人者であります。1970年代初頭のイタリア、トスカーナ地方。10歳になるミルコは両親に深く愛される、利発で映画が大好きな少年でした。しかしある日、祖父の古い銃を過って暴発させてしまったミルコは両眼に重傷を負い、その視力はほとんど失われてしまいます。1970年代当時、イタリアでは視力に障害を持つ者は普通の学校ではなく盲学校に入らなければならないと法律できめられていました。ミルコもトスカーナの自宅からジェノバの寄宿制の学校に親から離れて学ぶことになります。しかし、当時の盲学校は、視力に障害を持つ子供達の職業訓練校と化していました。子供達の進路は運命付けられ、その路線を安全に走行できるように訓練が敢行されるわけです。

しかし、後の「音の魔術師」は、そんな御仕着せの路線に適合することはありませんでした。ミルコは心を閉ざします。そんなミルコはある日、テープレコーダーを見つけます。しかし、古い規律や体制を重んじる学校側は、ミルコからその楽しみを取りあげようとします。盲人は障害者であり、実社会でつらい失望を味わうよりは最初から幻想を抱かない方がいい、というのが自らも視力を失った校長の言い分だったのです。けれど、彼の聴力の才能にいち早く気づいたジュリオ神父は、学校に内緒でミルコに新しいテープレコーダーを渡します。

作文の時間、ミルコは点字ではなく、寄宿舎で見つけたオープンリールのテープレコーダーに雨の音や鳥の声などを録音し、それを編集して提出しますが、校長に拒絶されてしまいます。しかし担任のジュリオ神父はミルコの音に対する才能を見出し、校長に内緒でデープレコーダーを与え、ミルコの友達たちと協力してストーリーを作り、それをドラマとして仕上げていきます。

“音”との出会いに新鮮な喜びを感じるミルコ。そして、彼の優れた聴力に気づいた担任の神父が救いの手を差し伸べるのです。ミルコは、寮の管理人の娘である少女フランチェスカにも助けられ、その後も物語を録り続けます。やがて、フランチェスカが考案した物語にクラスメイトたちも興味を持ち、その遊びに参加するようになります。

 ある晩、ミルコたちは学校をこっそり抜けだして映画館に行きます。こうした体験が、閉ざされた世界に暮らす子供たちにも夢と可能性があることを気づかせていくのです。だが、新しいテープレコーダーを使っていることが校長に発覚し、ミルコは退学処分を宣告されます。それは彼にとって学ぶ機会を失うことを意味していました。

 ミルコが自分自身の戦いに立ち向かっている頃、学校の外では社会を変えるためのもっと大きな戦いが始まっていました。抗議デモが頻発し、広場は学生たちで埋め尽くされています。そんな運動家の一人に、以前ミルコとフランチェスカが知り合った、エットレという視覚障害者の青年がいました。退学処分という仕打ちを知ったエットレはある策を思いつきます。そして、待ちに待った学年末の発表会の日を迎えます。ジュリオ神父とミルコたちによる童話劇が始まるのですが…。

主人公のミルコ少年は不慮の事故で視力を失ってしまい、暗闇での生活を余儀なくされていました。それと対比するかのように、トスカーナの陽光が眩しかった。その後視力を回復し、現在イタリア映画界の第一線でサウンド・デザイナーとして活躍するミルコ・メンカッチ氏は、ひとりの理解ある教師に出会ったからこそ、“天才”がこの世に出ることが出来るまでを、“音”と“映像”で見せてくれます。

この映画を通して、いかに“音”というものが大事なことかを改めて知らせてくれます。

さて、視力を失っていたミルコは、「音」の持つ可能性を誰よりも知っていたのではないでしょうか。そして、ひとつひとつの「音」を大切にしていたように思います。

 映画によっては、「音」が溢れ返っている作品があります。戦争映画、ヤクザ映画、マフィア映画、その他、激しいサウンドでオーディエンスの気持を高揚させようとする作品は数多く存在します。そうした作品を鑑賞する時、音響という意味では、多少劇場の音響設備が貧弱でもあまり問題は無いと思います。こうした溢れるサウンドを取り入れた作品を鑑賞するときこそ、音響設備は大切だと思う方もいらっしゃると思います。しかし、本年も既に劇場で70作品を鑑賞した小生ですが、こうした「音」が溢れている作品や場面では、多少貧弱な音響設備でもオーディエンスの気持は高揚し、結構楽しめるものです。

 しかし、「音」が殆ど存在しない場面などでは、音響設備の良し悪しにオーディエンスは非常に敏感になると思います。

廊下をひとりの暗殺者が歩いている。聞こえてくるのは、暗殺者の足音だけ。と、突然、その足音が止まる。そして、ドアが開く。ずどぉ~ん!

このような場面を想像して見て下さい。こうした場面こそ、「音響効果」を想像するサウンド・デザイナーの力量が大切になってくると思います。見事なサウンドクリエイトと、最高の音響設備が、「リアル」を越えた「リアル」な音響効果を体現します。「音」が制限された作品や場面ほど、「音響効果」はその真価を問われると思います。

 小生、“音の魔術師”ミルコ・メンカッチ氏に、以下のことを御願いしたです。

嘗て松尾芭蕉がよんだ、「古池や 蛙飛び込む 水の音」という俳句を、映像と音だけで再現して頂きたい・・・。

そうです。こうした課題こそ、サウンド・デザイナーの素晴らしさを再認識できるのではないでしょうか。あぁ~、何時の日にかミルコ氏が創造された「古池や・・・」を観て聴いてみたいものです。

以上で本日の「酒の肴」は終わりです。如何でしたか・・・。それでは、また。

2010年6月21日月曜日

 『北野監督作品』に思うこと。

先週 ・土曜日から、北野監督・15作品目になる『アウトレイジ』の劇場公開が開始されました。

「今回はキャストに有名人を揃えた。そうじゃないとお客が入らないから・・・」「今まで無名ばかり使ったけど、ベテランを集めるといろいろ解っていて指示を出さずに済んで助かった。」という、北野監督の発言からも判るように、前作・前々作・前々前作と、つまり『座頭市』以降は、興行的には不調が続いていたので、ここでひとつ「エンターテイメント」とを…、と言うことでしょうか。久々に興行成績が期待できる作品が、北野監督によりリリースされました。

 そんななか、小生、先の14作品目となった『アキレスと亀』について書き留めた文書を久しぶりに読み返して見ました。
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興行戦績を無視しても、挑戦的、斬新的作品を、世に問い続けてきた北野監督、本作品は、その北野監督・14作品目である。巨匠と言われるが為、偉大なキャリアを残した為、『興行的不振』は堪えるのか?

ある雑誌インタビューで、北野監督曰く、「・・・冒険ができなくなってきているっていうか、むちゃができないっていうか。・・・・初期の、2、3本撮ったころならキャリアも関係なく、いつやめてもいいから好きな作品撮って、客が入らなければやめちまおうと考えられた。・・・・・・・・14本も撮るとキャリアとして残っているし、一応映画監督になっているわけだからそうもいかない。だいいち、もったいないしね。・・・」。

 そんななか、北野監督は、「(才能に関係なく)芸術にかかわる人間はそれだけで幸せなんだ!俺も、ここんところ当たってないけど、でも好きな映画に従事できるだけで幸せなんだ・・・」という思いを、改めて自己反芻し、オーディエンスにぶつけている様な気がします。

この作品については、新聞・雑誌・TVで多々取上げられ、この作品には「どのような北野監督の思いが込められているのか?」ということが必ず取上げられます。この点については、諸説あります。
例えば、
1. 『芸術は何のためにあるのか。ヒトを喜ばせるためか。その割には、周りのやつは結構死んでるじゃん。』、というパラドックスの意味を込めている。
2. 観客ウケを狙った娯楽作品を撮るべきか、あくまでも自身の芸術性を優先させるか、こんな「芸術」に対するパラドックスの意味を込めている。
3. 妻が、最後に、芸術家・真知寿(マチス)の思いを受け入れることで、アキレスは亀に追いついた、というパラドックスの意味を込めている。
などなど、様々な説があります。いずれにしろ、北野監督の心の葛藤が、生み出した作品であると思います。
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しかし、この作品も興行的には振るわなかったようです。北野監督の葛藤は続いたのでしょうね。そんななかで北野監督は、今回はこれまでと打って変わり、自分を含めメジャー・11名を「北野組」に迎え、確かな「エンターテイメント作品」をリリースされました。これまでは、無名な俳優達のポテンシャルを見事に引き出してきた「北野組」ですが、今回は、「今回はキャストに有名人を揃えた。そうじゃないとお客が入らないから・・・」「今まで無名ばかり使ったけど、ベテランを集めるといろいろ解っていて指示を出さずに済んで助かった。」ということになったようです。

さて、公開が始まった北野監督・15作品目になる『アウトレイジ』ですが、「アウトレイジ」とは、「極悪非道」という意味だとか・・・。
ヤクザの抗争を描いた本作品は、①本家・「山王会」があり、②本家の傘下にある「池元組」、③「池元組」と杯を交わし「山王会」へ取り入ろうとする「村瀬組」、そして、④「池元組」の傘下で冷や飯を食わされている、我ら北野武が率いる「大友組」、とこの4つのヤクザ組織が下克上の抗争を拡げる作品です。

ヤクザの抗争を描いたこの作品、小生には、何だか我々サラリーマン社会の縮図と思えてきました。
l アホで責任を回避する上司を持つ部下は苦悩する、
l アホで戦略を描けない上司を持つ部下は苦悩する、
l 苦悩する部下達の気持を手玉にとる卑劣な上司に部下は苦悩する、
l 問題が発生すれば、「部下が馬鹿なんです!」といって責任逃れをする卑劣な上司に苦悩する、
l そして、我ら北野武が率いる「大友組」も卑劣でアホな親分達に苦悩する。

あぁ~、まるでどこかの会社の様子だと思いませんか?唯、ヤクザと違って、殺したり殺されたりはありませんが・・・。
唯、数々のオリジナルワールドをクリエートしてきた北野監督だけに、今回の作品は賛否両論があるようです。確かに、「そうじゃないとお客が入らないから…」という北野監督の発言には、何か寂しさを感じます。
 でも、この作品をめぐっての以下の様な北野監督の発言を見聞すると、「なんだ、北野監督、やっぱり楽しんでいたんだぁ~。」って思えてきました。
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Q:配役は、どのように決めていかれたんですか?

組織図みたいに写真を並べて置いていったんだよね。それで三浦さんはどこへ置くんだって言ったら、だんだん上の方に上がっていっちゃうんだよ(笑)。だから、北村さんもそうだけど、あの二人は下のチンピラたちとはちょっと別格にしたの。三浦さんを中心に上下に分けたのは、正解だったかなあ。

Q:三浦さんの静かな迫力が、怖かったです。

まず会長(北村総一朗)が怒鳴るところから始まるんだけど、三浦さんに演じてもらった側近までもが一緒になって怒鳴り散らしたら、もうみんな怒鳴っちゃうってことになるから(笑)。三浦さん以外のほとんど全員が、「バカヤロー!」しか言っていないからね。

Q:加瀬さんも、ごく普通の静かな役が多い役者さんだと思うのですが、いかがでしたか?

加瀬さんには、殴る蹴るだけの暴力じゃなくて、知識があって、ITとか知ってて、金を回すことが主な仕事のヤクザを作ろうと思ったんだよ。でも、それだけだとヤクザらしくないじゃない? だから、キレたときはムチャクチャやるっていうふうにしたくて、一回だけ殴らせたわけ。でもムチャクチャやれって言ったもんだから、カットになったあともまだ必死に殴っててさ(笑)。もう、ハアハア言っちゃって、メガネも吹っ飛んじゃって(笑)。すごい迫力だったよ。

Q:正直、最初は誰だかわからなかったです。

加瀬さんをヤクザにするのが一番大変だった(笑)。オールバックにして、スーツ着させたんだけどまだダメで、色眼鏡かけさせたり、とにかく大変だったね。結果的にはすごいワルになったから面白かったよ。

Q:男同士の意地の張り合いが最高に面白いですよね。「やれねえのか、バカヤロー」「やってやるよ、このヤロー」みたいな(笑)。

ヤクザたちがワーワー言い合いしているシーンは、ほとんど漫才の間なんだよ。全員が、漫才のツッコミ状態。セリフの間を編集で、全部縮めてあるからね。役者にも、もっと早くしゃべってって指示したりしてた。こっちがセリフ終わる前に、もう早口で怒鳴っているみたいなね。

Q:あんなに笑えたのは、漫才のツッコミだったからなんですね!

中野英雄さんが罵倒されるシーンなんて、もう言葉のリンチだよね(笑)。「早くやれこのヤロー、てめえまで出てくるんじゃねえバカヤロー」とか、もうすごい(笑)。

Q:ほかにも思わず笑ってしまうシーンがたくさんありました。

映画の中にさ、いろいろな前フリとオチを仕掛けているんだよ。映画の最初の方に前フリがあって、後ろの方にオチがある、みたいな。そこも、面白いと思うよ。

Q:撮影しながら、つい笑っちゃうことはなかったんですか?

撮っている間はみんな緊迫してるから、笑っていないんだよね。でも、編集したのを流してみると笑うんだよ。
おれ、こんなおかしい映画撮ってたかなあって(笑)。編集する前は痛いだけのシーンも、つなげてみたら、随分おかしいよこれって(笑)。

Q:確かにひどい目に遭わすシーンが本当に痛いんですけど、なんか極限超えちゃって、めちゃめちゃ笑っちゃいました。あれは何なんでしょう? 不思議な感覚ですよね。

人間は追い詰められると笑っちゃうっていうよね。笑うことで、ガス抜いてるんだと思うよ。緊張しても、倒れちまうといけないから、笑っちまうんだろうね。今回の暴力シーンはあまりにも激しいから、つい笑っちゃうというかさ。

Q:なるほど、ガス抜きですね(笑)。

おれも前に、手を切って指がぐちゃってなったときに、始めは泣くんだけどあとは笑っちゃうんだよね。「ひでえな。こりゃ」って(笑)。泣くことと笑うことは表裏一体のところがあると思う。

Q:椎名さんのベッドシーンは、女性にとってはたまりませんでした!

最初はやる予定じゃなかったんだよ。彫り師の人が、せっかく時間かけて入れ墨を描いてくれたんだけど、映してあげられなくってさ。あんまり悲しそうな顔をするんで、「あ。入れ墨、映してあげなきゃ」って。それで入れたの(笑)。

Q:全国の椎名さんファンじゃなくて、彫り師さんのためだったんですね!

考えてみたら風呂場でもいいんだけどさ(笑)。でも、ちゃんと入れ墨を見せるようなシーンがほかになかったんだよ。結局、彫り師の人がラッシュ(試写)を観たあとに、「ありがとうございます」って言ってくれたよ(笑)。

Q:ヤクザ映画を撮る魅力ってどんなところですか?

生きるとか死ぬとか、死と隣り合わせって言えば軍隊だって同じなんだけど、軍隊は上の命令とか国の命令だから、個人的には動けない。でも、ヤクザは自分の上からの命令にも反発したり、エゴを出したり、どこか人間くさくて、暴力が絡むから、物語の題材としては絶対に面白い要素が多いんだよね。

Q:映画『アウトレイジ』の男たちの狂騒を、どのように楽しんでほしいですか?

もうね、完全なるエンターテインメント・ムービーだから、ヤクザ同士の権力闘争劇ではあるんだけど、アリとイモムシの戦いみたいに、客観的に観ても楽しいんだよ。人間だって思わないで観た方が面白いはずだから、そんな感じで観てほしいね。
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少し、安心しました。まぁ~、4作品に①作品程度の割合で、「北野クリエートのエンターテイメントもあっていいのかなぁ!」って思いました。

北野監督は、明らかに映画をたくさん観ておられると思います。所謂、「イイトコ取り!」もあるのかもしれません。しかし、「座頭市」を茶髪にしてしまうなど、奇想天外の北野監督の発想には、小生、多々敬服させられます。だって、「座頭市」をイメージしろ、と言われて、誰が「茶髪の座頭市」を創造できますか?

また、俳優としての北野さんは、「ヒトが持つ狂気」を演じたら本当に凄さを感じます。「狂気」を演ずる場合、緒方拳さんも最高ですが、緒方さんの場合は「動」であるのに対し、北野さんの場合は「静」で「狂気」を体現します。これが、オーディエンスの脳裏に焼き付く「演技」となるのです。好き嫌いを越えて、最高の演技と認めざるを得ません。

そして、北野監督は、ヒトの「負」の部分、すなわち「嫉妬心」とか、「凶暴性」とか、「厭らしさ」とか、「卑劣さ」とか・・・、こういう要素を映画に取り入れ見事に描きます。「ヒトの負の部分」を描き出した作品は、確かに鑑賞していて気持の良いのもではありません。しかし小生は思うのです。こうした「負の部分」ともきちんと向き合わねば、ヒトは暖かく、優しくはなれないのではないかと・・・。社会の中で、踏みつけられてきたヒトが、醜くなり、凶暴性を帯び、暴力を振るう。しかし、ここに至るまでの「道程」をきちんと確認しなければ、決して暖かな気持は育まれないのではないでしょうか。「ヒト」の凶暴性に目を向ける北野監督には、「ヒト」の弱さを寛容に受け止めていこうとする姿勢が同居しているような気がします。

許されるのであれば、この辺り、ご本人に確認したいものです。

以上。

2010年6月7日月曜日

アニー・リーボーヴィッツについて。 (映画 『レンズの向こうの人生』を観て考えたこと。)

米国のファッション誌「VOGUE」は、この夏の特集で鳩山元首相の幸夫人を取上げるそうである。そしてこの5月に一日がかりで写真撮影が敢行され、それを担ったのがアニー・リーボーヴィッツであったそうです。

アニー・リーボーヴィッツ、小生が、この写真家の名前を知ったのは、数年前、映画 『レンズの向こうの人生』を鑑賞したときのことです。この映画は、暗殺数時間前のジョンとヨーコのポートレートやデミ・ムーアの妊婦ヌードなど有名人を被写体にセンセーショナルな作品を数多く手掛けてきた世界的女流写真家アニー・リーボーヴィッツの人生を辿るドキュメンタリーです。監督は彼女の実の妹バーバラ・リーボヴィッツです。

もしできれば、ここに上記の「暗殺数時間前のジョンとヨーコのポートレート」や「デミ・ムーアの妊婦ヌード」などを掲載したいものです。ご覧になられれば、彼女の写真家としての才を体感できると思います。残念ながら、写真掲載は難しいので、インターネットなどで、まず、彼女の作品をご覧になられることをお勧め致します。

映画は、被写体になった方々や彼女自身へのインタビューなどを交え、彼女のクリエート活動の現場の様相が紹介されます。映画では、ストーンズのミックとキース、パティ・スミス、シュワルツェネッガー、ジャック・ニコルソン、ヒラリー・クリントン等がインタビュー・フッテージで登場する上に、キルスティン・ダンスト、ジェイソン・シュワルツマン、ジョージ・クルーニー、キーラ・ナイトレイ等をカメラに収める仕事風景も紹介されます。その一方、ひとりの女、母として生きる彼女の人物像に、様々なインタビューや撮影秘話を通して迫っていきます。

彼女の履歴は以下の通りです。

 アニー・リーボーヴィッツ(Annie Leibovitz、本名:Anna-Lou Leibovitz、1949年10月2日)は、アメリカ合衆国の写真家。コネチカット州ウォーターバリー出身のユダヤ系。

米国空軍に勤める父とモダン・ダンサーの母との間に生まれた彼女は、父親の仕事の関係で、全米各地で暮らしたそうです。サンフランシスコ・アート・インスティチュートで絵画を学びながらローリングストーン誌で働きました。サンフランシスコ・アート・インスティチュートで絵画を学びますが、作業研究で暮らしたイスラエルで写真を撮影したことが転機となります。学生時代はカルチェ=ブレッソンのフォトジャーナリスト的な写真とラルティーグ に影響を受け、また、家族の絆を確認する家族写真も写真家のベースになっていると自ら述べています。

イスラエルから帰国後、定期購読していたローリングストーン誌にイスラエルで撮影した反戦運動の写真を持ち込みます。その写真が編集者の目に留まり、いきなり雑誌に掲載されることになります。幸運なことにその後すぐに仕事を依頼されニューヨークでジョン・レノンの撮影を行い、なんとその写真がローリングストーン誌の表紙を飾ることになります。1970年、彼女がまだ若干20歳の時です。有名人のレノンは無名の彼女の撮影に非常に協力的だったそうです。地球上の人類はみな同じであると彼の態度から教えられ、その経験がその後の写真に深く影響していると語っています。彼女の輝かしいキャリアはこうして始まりました。

1973年にローリングストーン誌のチーフ・カメラマンとなり、1975年のROLLING STONESの全米ツアーに同行して収めたツアー・ドキュメントで一躍有名になります。唯、ストーンズのツアーに同行するなかでヤク中になって帰国し、ローリングストーン誌の先輩記者だったハンター・トンプソンとの交流のおかげで、再度ヤク中になり苦しみます。

1980年にジョン・レノンと妻オノ・ヨーコの写真を撮影。この数時間後にジョンは暗殺され、写真はローリングストーン誌のジョン・レノン追悼号の表紙となりました。この写真が表紙となったローリングストーン誌1981年1月22日号は、2005年に米雑誌編集者協会から、過去40年間に全米で発行された雑誌の中の最優秀表紙写真に選ばれています。

1983年にヴァニティ・フェア誌に移籍して、撮影対象をミュージシャンからより広いセレブリティに広げています。1984年には全米雑誌写真家協会からフォトグラファー・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。雑誌の仕事中心ですが広告の仕事では1987年のアメリカン・エキスプレスのキャンペーン写真やギャップ、アン・クラインの仕事を行なっています。

多くのポートレート写真家はファッション写真家出身です。しかし彼女のベースはジャーナリストのルポルタージュ写真であったことが大きな特徴です。初期の写真はモノクロの35ミリカメラで写真の構図とモデルのフォームにこだわったイメージ作りを心がけます。ヘア・メイクやファッションにも全くこだわりませんでした。モデルの親密さとともにフォトジャーナリスト的にベストショットのタイミングを本能的に探りだそうというアプローチでした。しかし80年代に入ると大判カメラでより洗練されたコンセプチュアルなイメージをプロデュースして撮影するように変化していきました。

1991年にデミ・ムーアの妊婦姿のヌードが表紙を飾り、論争となります。1998年にヴォーグ誌に移籍、ファッション関連の仕事も始めます。その被写体の対象は、ミュージシャン、映画スター、政治家、舞踏ダンサー、スポーツ選手と多岐に渡り、ファッション誌にも活躍の場を広げ、世界中のセレブリティから圧倒的な支持を受けています。彼女の撮影するモデルは予想を越えた新鮮なポーズをとることで有名です。ジョン・レノンのヌードで体をよじらせてオノ・ヨーコに寄り添うイメージや泥の中のローレン・ハットン など伝説的なポートレートは数知れません。またデミ・ムーアの妊婦ヌードでも話題になりました。単にきれいなだけの平凡なポートレートに飽き飽きするセレブリティにとって豊かなアイデアを持った彼女の写真は自分の新しい面を引き出してくれる魅力あるメディアだったのです。

30年に渡ってアメリカのポピュラー・カルチャーを、雑誌を通して表現していた彼女の仕事への情熱は一向に衰えません。1999年には20世紀末に各分野で活躍する女性のポートレート撮影のプログラムに従事し、コーコラン・ギャラリー・オブ・アート(ワシントン)で写真展を開催するとともに写真集"Women"を発表しています。2006年には過去の写真家としての仕事と、プライベート・ショットを同時展示する自叙伝的写真展"A Photographer's Life: 1990-2005"をブルックリン美術館で開催しています。 彼女のオリジナル・プリントはニューヨークのジェームス・ダジンガー・ギャラリーで初めて扱われ、その後、写真オークションでも頻繁に取り引きされるようになっています。1991年にはニューヨークの国際写真センター、スミソニアン・ナショナル・ポートレートギャラリーで大規模な回顧展が開催されています。

私生活では、1989年にエッセイストのスーザン・ソンタグと出会い、スーザンの亡くなる2004年まで親密な関係にありました。3人の子供がいますが、2001年に生まれた双子は代理母の出産であります。仕事の一方で、次第に明かされる彼女の恋、同性愛者である彼女は最愛の人と過ごした日々を振り返るが、そこには悲しい結末があるのです。

 映画の中で、「何百本というバラのなかに裸婦が横たわる写真」が紹介されます。当然、撮影前に、この何百本というバラの「刺」は、スタッフ達の手によって全て取り除かれています。完成した作品のみを鑑賞するオーディエンスとして、彼女と向き合うのは良いのですが、スタッフとしてこうした偉大なクリエーターと共に活動するのは幾多の困難があるのだと思います。一枚の傑作を求め、彼女のインスプレーションは限りなく広がります。その度に、衣装、メイク、背景、照明などに対する厳しい要求がスタッフに向けられます。スタッフは大変でしょうね。インスピレーションの中で、もし「ワニ」が必要となったら、スタッフは「ワニ」を捜さねばならないし、「バラの刺」が邪魔ならば直ちに、数百本のばらの刺を取り除かねばなりません。まぁ~、偉大なクリエーターに付き従う、ということは本当に根性を出して付いて行かねばならないのです。この映画を観ると、そうしたことがよく判ります。

偉大なる写真家、アニー・リーボーヴィッツ、皆様もいつか、どこかで堪能してみて下さい。

2010年5月31日月曜日

親子の和解について。 (映画 『ローラーガールズ・ダイアリー』を観て考えたこと。)

 本日の「酒の肴」、熱燗でも飲みながら、じっくりご堪能下さい。

ヒトは、一度は必ず自分の親に対して反発するものなのかもしれない。しかし、自分が親になってみると、子供から反発されることは決して肯定できることではない筈。親は、愛している子供が心配だから、自分のルールで子供を守ろうとする。親は、子供に期待しているから、自分の価値観を子供に伝えようとする。

先週、劇場公開となった映画・『ローラーガールズ・ダイアリー』に登場する主人公・ブリス(女子高生)の母親も、娘のブリスに期待を寄せる。保守的なこの母親は、美人コンテストで優勝したら将来きっと幸せをつかめると確信し、ブリスにコンテストの参加を強いる。さらにこの母親、少女の時代には、自らコンテストへ参加し優勝を目指していた。しかし、親のバックアップが無かったために自分は優勝できなかった、との思いから、娘のブリスと妹を完璧にバックアップする。だが、この母親の思いに、ブリスは飽き飽きしていた。文学少女であるブリスは、何らかの変革を体現したかった。ある時、髪を染めて、美人コンテストに臨んでみようと思い立ち、実行するが、これが大失敗に終わる。保守的な価値観で評価される美人コンテストに参加させられることは苦痛以外の何物でもなかった。

そんな時、ブリスは、ローラー・ゲームに出会う。そして、ローラー・ゲームに完全に魅了される。さらに勢いあまって、ルールも知らないのに、親に内緒で年齢を偽って新人発掘トライアルに参加する。ブリスは、ずば抜けたスピード感があり、『ハール・スカウツ』に入団決定となる。

ここからブリスは、自分を支配していた母親と母親の持つ価値観から決別する。選手として才能を開花させ、チームメイトたちと友情を育み、バンドマンの彼氏もできる。ブリスは、自分の居場所・自分の価値観をみつけたと思った。ところが、ある時、ブリスの活躍を母親は知ることになる。父親は、妻の考え方に多少の疑問をもつものの、妻との衝突は避けたいので、妻の価値観を肯定する。当然ブリスは、母親と衝突し、遂には家を飛び出してしまう。しかし、チームに本当の年齢がバレ(17歳を22歳と偽って登録していた。)、応援してくれていた友人とは喧嘩になり、彼氏を頼るも、ツアー旅行中の彼氏とは連絡も出来ない状態。行き場を失ったブリスは、仕方なく、年上のチームメイトの世話になることに…。

ブリスが世話になったチームメイトは子持ちであった。そのチームメイトに、ブリスは、「母は私に自分の価値観を押し付けてきた。私はそこから抜け出たいのだ。」と訴える。そんなブリスに、このチームメイトは、「貴方は母親を攻撃しているだけではいけない。母親の視点からも物事を考えなければいけない。そして、あなたを心配する母親が存在するだけでも、あなたは幸せである。」と訴える。自分も一児のママであるこのチームメイトは、ブリスに母親と和解することを諭す。

ブリスが母親と和解するシーンは、感動的である。パート・ワークから戻った母親は、家出したブリスが家へ戻ってきて、キッチンの床に座り込み何かを食べているのを発見する。母親は無言で、普段は嗜まない煙草に火をつけ、黙ってキッチンの床に座り込み、娘に自分の気持を話し始める。「(美人コンテストの件は)自分でも行き過ぎていることは自覚している。しかし、自分は優勝したかったのに、親のバックアップが無かったので、優勝できなかった。だから、私は貴方を必死でバックアップした。」と・・・。母親の言葉を聴いたブリスは、多少、母親の気持を理解しようと努力し始める。これを契機に、母親・父親はそれぞれブリスと向き合おう、ブリスも母親と向き合おう、と変化する。しかし、未だ、「向き合おうと努力し始める。」段階で映画は「幕」となります。

 まず、「~を行うことを始める。」という瞬間は、非常に美しいものです。映画だからこそ、こうした「変化を始める瞬間」を捉えることができるのです。この作品は、まさに「家族が変化を始める瞬間」を見事に作品中に納めています。家族が、お互いの気持を完璧に理解する、などというのは夢のまた夢。でも、多少でも自分以外の家族の気持に目を向けだしたこと、が「美しい」と思えてくるのです。また、「自分の居場所・自分の価値観を見つけたブリス」を両親が肯定し始める瞬間が見事に描かれています。

 親子の和解、フィクションではありますが、誰もが切望している(または、切望していた)ことだと思います。だから、ブリスや母親の気持に共感でき、オーディエンスは「判るよ、ブリス。判るよ、お母さん。貴方の気持、本当によく判るよ。」と思わず叫びたくなってしまうのです。

 誰にでも、「親との和解を感じた一瞬」というものはあると思います。そんな瞬間を映像に納められていたら素敵ですね。「完全に理解し合う」ということはなかなか難しいですが、少なくとも、「親」と「子」がお互いの気持を理解しようとし始めた、ということに意義があるのだと思います。

本日は、ここまでです。
如何でしたか。ご堪能頂けましたら幸いです。

2010年5月18日火曜日

拝啓、アル・パチーノ様 (映画 『ボーダー (Righteous Kill)』を観て…)若い「共演者達」に伝えたいこと。そして、“プロ意識”・・・。

拝啓、アル・パチーノ様。

貴方は、現代映画界の最高の演技派俳優であるロバート・デ・ニーロと、様々な焦点から比較対象にされます。しかし貴方は、役作りの面において、外見から徹底的に役に対してアプローチするロバート・デ・ニーロのようなスタイルと、シナリオから役を追究し、特別なアプローチを避けるアンソニー・ホプキンスのような両極にあるスタイルを持ち合わせている、と言われております。一説によれば、貴方は、シナリオの1場面・1場面に対し、事前にそれぞれ数十パターンで演技できるように準備されるそうですね。物凄い“プロ意識”ですね。これなら監督も非常に創作活動が容易に進行するでしょう。「じゃ~、『場面A』行くよぉ~。少し楽しそうに演技してみて。・・・あっ、もう少し暗く演技できる。・・・ちょっと後半は明るく・・・。」などといった要望にも、貴方なら次々とパターン調整出来る訳ですよね。俳優が、「楽しそうに演技する『場面A』」を創作するのだって大変なことでしょう。それなのに、貴方は、常に『場面A』に対して数十パターン、『場面B』に対しても数十パターン……、と準備する訳です。“プロ意識”のレベルが非常に高いのです。小生、このエピソードを知ったとき、本当に貴方の素晴らしさを理解しました。

さて、世界中で現代最高の俳優と称えられる貴方とロバート・デ・ニーロ、おふたり合わせてアカデミー賞ノミネートは実に14回です。しかし傑出したクオリティを誇る数々の出演作品の中で、その名を並べたのはわずか2本です。そのうち、映画史に残る名作『ゴッドファーザーPARTII』では共演シーンが一つもなく、張り詰めた男のドラマで観る者を圧倒した『ヒート』でもほんの数分のみでありました。『ヒート』での共演から12年、演技力と存在感にさらに深みと凄みを増したあなた方2人の“本物の共演”が、2008年、作品『ボーダー (Righteous Kill)』で実現した訳です。

唯、この作品、日本において上演されたのは、つい最近のことなのです。しかも、都内であれば、僅か2つのスクリーンでの上映です。貴方を尊敬する小生からすれば、なぜもっと早く、もっと多くのスクリーンでこの作品が上映されないのか不思議であります。先週の日曜日に、小生、ようやくこの作品・『ボーダー』を劇場鑑賞しました。

監督は『アンカーウーマン』『北京のふたり』などの監督ジョン・アヴネット。ドラッグ・ディーラーのスパイダーには、ヒップ・ホップのスーパースター、50セントことカーティス・ジャクソン。仕事は完璧だが、ロバート・デ・ニーロが演ずるタークとの恋愛関係に問題を抱えた科学捜査官カレンには、『ナイト ミュージアム』のカーラ・グギーノ。普段からタークとそりが合わず、彼が真犯人だと疑う後輩の刑事2人には、『ハプニング』のジョン・レグイザモと、『シックス・センス』のドニー・ウォールバーグ。タークとルースターの上司には、舞台でも高く評価されているベテラン俳優、『ロミオ+ジュリエット』のブライアン・デネヒー。実力派キャストが集結した素敵な作品でした。

 ロバート・デ・ニーロと貴方が、ニューヨーク市警で20年以上コンビを組むタークとルースターを演じられます。二人は固い絆で結ばれていたという設定です。ある日、一度は逮捕されながら証拠不十分で社会に放たれた犯罪者を標的にした連続殺人事件が発生。その全ての証拠がタークの犯行を示していた……。しかし、本当の犯人は・・・?

 サスペンス作品として、ストーリーに対する評価はそれほど高くないのかもしれませんが、貴方とロバート・デ・ニーロの演技には、小生、魅せられました。今回、お二人は、性格が全く異なりながらも、固い絆で結ばれているという設定ですので、例えば、犯罪者を二人で協力して取り調べる場面などでは、お二人の味わい深い演技の共演が体現されていました。共演だからこそ、二人の間に生まれるテンション(緊張感)が「日常を共にするモノ達の絆」という概念を、魅力的に視覚化しています。嘗ての、ポールニューマンとロバートレッドフォードのコンビ、ダスティン・フォフマンとトム・クルーズのコンビ、などと肩を並べる素敵な共演だったと思います。

ところで、貴方・Alfredo James “Al” Pacinoは、 1940年4月25日 生まれですね。と、いうことは、今年70歳ですね。いゃぁ~、2年前にアメリカ公開されたこの作中の貴方、とてもとても70歳には見えません。

貴方は、シチリア移民の子として生まれるが、2歳の頃に両親が離婚し、少年時代は非常に貧しく不憫な生活を送った、と伺っております。若い頃はニューヨーク市内で自転車便やビルの清掃稼業、映画館のアルバイトなど様々な職業を渡り歩いていたそうですね。この頃に後々名コンビとして知られるジョン・カザールと親交を結んだとか・・・。26歳からリー・ストラスバーグ主宰のアクターズ・スタジオで演技を学んだが、オーディションに行くためのバス代もないほど貧しかった時もあったというのは本当ですか?しかし次第に、貴方は舞台で活躍するようになる。

映画スターとしては比較的小柄(167cm)というハンディキャップを抱えながらも、画面を所狭しと駆け回り、見る者を圧倒するエネルギッシュで強烈な演技と、悲壮感や哀愁の漂う演技という、両極端のスタイルを併せ持っているのが貴方の特徴かもしれません。それぞれのスタイルを象徴する作品として、前者は『スカーフェイス』、『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』、『ヒート』、後者は『ゴッドファーザー』、『フェイク』、『カリートの道』というところですか。貴方が、あるインタビューで語ったところによると、『セルピコ』は、モデルとなった実在の人物と3週間一緒に生活を共にしたり、『狼たちの午後』では、逆に脚本を徹底研究し、モデルとなった実在の人物とは一切面会せず、独自に役を作りあげたそうですね。ここでも、貴方の“プロ意識”には敬服致します。

最後になりますが、小生、あなたが仰られていた以下のメッセージ、印象に残っております。

貴方曰く、「若い俳優さんが、私と共演すると言うと、『大変緊張しました。・・・』なとど言われる。しかし、これだけは覚えておいて頂きたい。私が、若い俳優さんと共演する時には私だって緊張していると言うことを・・・。」。これですよ、これ。これこそが、自己顕示欲を捨てた本当の “プロ意識”なのですよ!

 Alfredo James “Al” Pacino様、これからも私達に“プロ意識”、教えて下さい。そして、ロバート・デ・ニーロとの共演、もし良かったら、もう一度見せて下さい。では、またスクリーンでお会いしましょう。

2010年5月9日日曜日

拝啓、山田洋次様 (映画 『おとうと』そして『プレシャス』を観て考えたこと。)「不幸」を鑑賞するオーディエンスの視点について。

拝啓、山田洋次様

本年・1月30日、劇場公開初日、早速、監督の最新作品「おとうと」拝見させて頂きました。上映終了後、館内を眺めますと、小生も含め、オーディエンスは一様に涙を流しておりました。さずが、山田監督です。そして、吉永様です。

まず、キャスティングが良い。「鶴瓶」さんを主役にしたキャスティングは、流石です。また、蒼井さん、加瀬さんも見事な演技でした。照明や美術なども見事でした。吉永さん演ずる、天使の様なお姉様が、この世に実在するのかは甚だ疑問ですが、鶴瓶さん演ずる「おとうと」に、「俺はアホや、確かにアホや、けどなぁ、お姉ちゃん。お姉ちゃんに、俺みたいな出来損ないの気持なんて判るかい!」と言わせたのは見事です。そして、散々お姉ちゃんに迷惑をかけた「おとうと」の死を看取る吉永さんの姿には、小生、思わず涙が出ました。

監督は、以前、NHKのインタビュー番組で仰っておられました。
「私は若い頃、日本映画など、全く興味がなかった。例えば、小津監督の作品。あれなどは、『所詮、中産階級を描いた物語でしょ。中産階級の娘が嫁に行く、行かない・・・・、描かれているのはそんなことでしょう。』と思っておりました。(略)当時はイタリア映画に魅せられましたねぇ。当時のイタリア映画は本当に良かった。庶民が描かれていた・・・・(略)」⇒ 〈注)もちろん山田監督は、今では、小津監督を大変評価されておられると伺っておりますが…。

今回の作品は、監督が愛したイタリア映画の様でありました。地道に生き、そのなかで幸せや絆を創り上げる「庶民家族の姿」が本当に美しく素敵に描かれておりました。何度も申しますが、流石、山田監督です。この作品は、かなりの興行成績を叩き出すことと思います。そして、エンドロールで、「この作品を市川昆監督に捧げる。」とありましたのも、よく判ります。本当に、素敵な作品でした。「聴衆を感動させる公式」を知り尽くした山田監督ならではの作品です。

ところでです。若輩者の小生が、「なにを生意気な!」と仰られるかもしれません。しかし、そこを、あえて申します。監督と吉永様は、既に「かあべぇ」を創られたではありませんか。未だ、足りないものがありましたか?もう、監督が「聴衆を感動させる公式」を知り尽しておられることは良く判りました。だから「涙の感動」はもう充分ではないのですか。そして、渥美清さんが「家族に迷惑ばかりかける『お兄ちゃん』なら、今回の鶴瓶さんは、「家族に迷惑ばかりかける『おとうと』ですか。しっかりものの妹・倍賞さんが、今回は、しっかりものの姉・吉永さんですか。

監督、次回は新しい「方向性」を期待します。何も、北野監督や松本監督や板尾監督の様にとは申しません。また、怪獣映画・西部劇・ミュージカルなどを製作されることを期待することもありません。しかし、新しい「何か」を期待します。例えば、主人公が自殺してしまうとか・・・。天使の「母」や「姉」や「妹」はもう充分です。まぁ~、寅さんシリーズ無き現在、松竹が、新たな「涙の感動作品の創作」を監督に強請ることはよく理解します。でも、監督、次回は是非、新たな作品企画を期待しております。

ところで山田監督、監督にお伺いしたいことがひとつあります。それは、「不幸」を鑑賞するオーディエンスの視点、ということです。
具体例を取上げて、お話しましょう。小生、先日、映画 『プレシャス』という素敵な作品を鑑賞しました。映画を鑑賞後、すぐに原作も拝読しました。この作品の内容をご紹介しましょう。

名前はプレシャス、ハーレムに生まれ育ち、極度の肥満体で、12歳で母親になり17歳で2児のママ、しかも「彼女のふたりの子どもの父親」=「彼女の実の父親」という近親相姦、そして現在はその父親は行方をくらまし、同居する母親からは毎日暴力と「お前は馬鹿」と罵声を浴びせられ、さらにはエイズに感染していることが発覚・・・・。こうした境遇のなかで、友人や恩師との出会うことで、主人公・プレシャスは励まされ、希望を見出して行こうとする…。

さて、山田監督の作品『おとうと』や、上記の『プレシャス』、いずれも不幸な主人公に、オーディエンスは作品鑑賞の中で主人公に感情移入すると思うのです。しかし、このときのオーディエンスの気持をもっと分析します。すると、「あっ、違っている。兎に角、私とは違っている。主人公・『おとうと』や『プレシャス』の置かれている境遇は私とは違っている。だから、彼や彼女は可愛そうだけれど、私は彼や彼女のようにはならないわ。あぁ~、安心した。」といった思いが、少なからずオーディエンスの中に存在するのではないでしょうか。「不幸」ということを知りたがる真理の底には、「自分は不幸にならない。」と確信したい、という思いがあるのではないですか。映画で展開される「不幸」を鑑賞する中で、「私とは違っている。」という安心感を同時に得ようとしているのではないでしょうか?映画の場合、「“自分の生活環境”と“不幸”という概念が、こうもかけ離れたものなのか・」ということを、オーディエンスは映像を通して実感できるのです。そうだとすれば、「不幸」に涙するオーディエンスの深層心理は、実は醜いものなのですね。

山田監督は、この点、どのようにお考えになられますか?作品『おとうと』に感動し、涙したオーディエンスの深層心理を分析されてみて下さい。監督のご意見を承ることが出来ましたら幸いです。

以上、山田ファンのひとりより・・・・。

2010年4月26日月曜日

「数学の楽しみ方」 アダム・ファウアー著 : 『数学的にありえない』(上下巻)を読んで、思ったこと。

かなり前になりますが、ある「新聞記事」が、面白いことを教えてくれましたんや。
それは、インド人・数学の先生のコメントです。

 先生曰く、インドでは、14×17 を 10×(10+4+7)+4×7と考えるそうな!つまり、14×17=(10+4)×(10+7)と置き換えるのですなぁ。先生曰く、「これは数字の感性」だそうです。かっこええですなぁ!これなら、鉛筆を持てない時でも、『答え:238』と計算できるますわなぁ。

さて、本日はこうした「数学の楽しみ方」を我々に教えてくれるミステリー作品をご紹介します。その作品とは、アダム・ファウアー著 : 『数学的にありえない』(上下巻)です。本日の「酒の肴」、味わう前にまず、スコッチ・ストレートをぐぐっとあおると良いですよ。
では始めましょう。

上記作品は、既に16カ国で出版されたベストセラーである。我が国では、文芸春秋さんが出版しており、文庫化もされました。
推理作家協会の新会長・東野圭吾さんが、昨年度(平成21年)の江戸川乱歩賞によせて下記のコメントを綴られた。(注:江戸川乱歩賞・推理作家協会賞は、我が国で唯一、出版社が関与しないものである。)
「我々は、うまくまとまっている作品には興味がありません。それよりも何か、斬新な要素に惹かれます・・・・」じゃあ、「あまりまとまってはいないが、斬新さを感じる作品とはどんな作品?」と尋ねられたら・・・、小生ならば、この作品を推奨するであろう。

この作品は、ミステリーである。舞台はアメリカ、ひとりの若き数学者(現在難病を患い退職)が国家安全保障局から追われることになる。彼は、単なる数学者だが、異常な計算能力を持つ。まるで映画『レインマン』に登場する兄のように・・。彼は、特に運動能力や戦闘能力などに優れているわけではない。だが、数学的センス、つまり確率論を用いて、追っ手からの幾多の困難を乗り越えていくのである。そして最後は、無事に国家安全保障局から逃げ切る。途中、双子の兄やCIAの女性コマンダーなどを味方にする。

 この作品、ミステリーとしては、特に斬新な作品ではない。しかし、この作品、上記ストーリーのなかで読者に、ラプラスの『確率の分析的理論』を説明するのです。
もう少し判り易く説明すれば、ラプラスの唱える「決定論:あらゆる事象や出来事はすべて物理学的法則によって決定される」という概念を作品を通して証明しているのである。
主人公(逃げまくる数学者)曰く、「人間には宇宙の実相をすべて計測する能力が無い、ということが決定論を否定することにはならない。」と・・。そして、又曰く、「人間の行動を決定する要因は、100%の確実性ではなく、誤差を最小限にとどめようとする意思である。」・・。彼は、ここから「人間の行動は予知できる。」という結論を導き、彼の卓越した計算能力がこれを確実にしていく。

国家安全保障局は、彼の予知能力を決定分析するため彼を捕獲しようとする。だが、彼は上記の定理に基づき、苦難に出会うたび、様々なシミュレーションを行い、脱出ルートを確保するのである。脱出ルートとは、彼の場合、常に敵から逃れることではなく、時において、というか「誤差、もしくは、間違う可能性が他の事象より低い場合には」、わざと敵に捕まってしまうのである。

さてここで、主人公が、CIA女性コマンダーを味方にするときに、彼女を説得する場面を再現しよう。

・・・・・・・・・・・・・(再現始まり)・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ、予知が可能なのか・・。それでは以下の事象を考えてみよう。

(コインを取り出し)ここにあるコインを4回投げる。「そのとき表が出る確率は?(=何回、表が出るか?)」、と尋ねられたら、君は2回と答えるであろう。つまり、「2分の1 × 4 = 2」である。確率論的なアプローチ(確率論とは統計学を予言する方程式をつくる学問。)である。
 では、今度は統計学的なアプローチ(統計学:実際の出来事を計測する学問)を試みてみよう。
この事象の場合、全ての起こりうる事象を検証することが可能である。起こりえる事象は16通り。
このうち、表が0回の事象は1通り
        1回の事象は4通り
        2回の事象は6通り
        3回の事象は4通り
        4回の事象は1通り、である。

ここから判るように、「2回」という回答は、それが誤解答である率が、62.5%もある。つまり、丹念にコインを4回投げる実験を繰り返せば、「表が2回でること」は半分以下の場合である。(16通りのうちの6回)
それならば、なぜ、ヒトは「表は2回出る」と答えるのか?そうなのである、2回以外の回答では、誤解答となってしまう確率が、62.5%以上になってしまうからである。

0回・4回と答えれば、誤解答率:93.75%
1回・3回と答えれば、誤解答率:75%となる。

さぁ、もう判ったかなぁ。人間は誤差を最小限に留めるように行動するのである。予言の方程式の最終目標は、完璧に予言することではない。間違う可能性を最小限にすることである。だから、国家安全保障局から完璧に逃れられる方法を見つけるのでない。捕獲される確率が最小の事象を探し、行動しているのである。この理論を前提にすれば、予知は可能になる訳である。

・・・・・・・・・・・・・・(再現終わり)・・・・・・・・・・・・・・・

判りますかぁ?
この作品は、こうした調子で、ラプラスの理論の概念を読者に伝えていくのである。ストーリーは、あのダン・ブラウンの『ダヴィンチ・コード』のごとく、主人公が逃げ回る、ジェットコースター・ノベルである。読者は、ハラハラ・ドキドキしながら、先へ先へと作品を読む。
唯、主人公が脱出策を考える思考理論は、ラプラスの確率理論を用いており、そのことで読者は
ストーリーの他に、『ラプラスの理論の美学』を堪能できるのである。この意味において、この作品は斬新なのである!!まぁ~、この作品、表題も非常に魅惑的であるなぁ。

主人公が、追っ手から逃げ惑うときに、抜群の計算能力を持つ主人公は、上記の様な「計算」と「行動シミュレーション」を、コンピューターの力を借りることなく、瞬く間に完結するのである。そして、迫り来る危機を的確な判断で回避していくのである。各場面の主人公の判断を裏付ける「思考過程」が、上記の様なカタチで読者に紹介されるのである。主人公の「数学的な発想」は非常に魅力的であり、主人公の「数字の感性」に読者は魅了されるわけである。

数学を楽しみたくなった方、数字の感性を味わいたい方、この作品を一読されることをお薦めします。

本日の「酒の肴」は、ここまで・・・。如何でしたか?
ご堪能頂けましたら幸いです。では、また・・・・・・・。

2010年4月19日月曜日

「拝啓、ダ・ポンテ様」映画 『ドン・ジョヴァンニ』を観て思うこと。  “ネタバレ注意”

拝啓、ダ・ポンテ様。

たいへん、お恥ずかしいことなのですが、
小生、先週の日曜日に、ポンテ先生が登場される映画『ドン・ジョヴァンニ』を拝見して、先生がモーツァルトとの共同作業で、1786年『フィガロの結婚』(原作ボーマルシェ)、1787年『ドン・ジョヴァンニ』(台本にはジャコモ・カサノヴァも協力した)、1790年『コジ・ファン・トゥッテ』という3作品のオペラを創られたことを知りました。

聞くところによりますと、この頃のモーツァルトは、ウィーンの宮廷に職を見つけることができずに失望をかみしめる日々を送っていた、とのことです。なんとしてもイタリアオペラで成功しなければならない。それには宮廷一の台本作家ダ・ポンテの協力がどうしても必要だった。しかし先生はあれこれ理由を見つけては台本の制作を先延ばしにしていたそうですね。

モーツァルトは父親にあてた手紙の中で当時の様子を次のように語っています。

「ここウィーンにはダ・ポンテ師という詩人がいます。いま劇場用に台本を書き換える仕事で大忙しですが、それが終わったら、僕のためにも台本を書いてくれると言っています。しかし彼が約束を守ってくれるのか、あるいは約束を守る気があるのかどうかはわかりません。イタリア人というのは皆そうしたものだということを、お父さんだってご存知でしょう。面と向かうととても愛想がいいのです。いや、もうよしましょう。そんなことははじめから判っていたことです。それに彼とサリエリとのあいだで話がついているとすれば、ぼくのために作品を書くはずなどないのですから。でも、僕はなんとしてでもイタリア語のオペラで自分の腕前を披露したいのです」

小生が調べましたところ、
先生はヴェネト州のチェネダでユダヤ人の家系に生まれた。元の名前はエマヌエーレ・コネリアーノであった。1763年に一家はキリスト教に改宗して、洗礼を行った司教ロレンツォ・ダ・ポンテの姓を名乗り、エマヌエーレの名前をロレンツォとした。先生はのちに聖職に就き、ヴェネツィアで暮らした。しかし、放蕩生活を送ったために1779年にヴェネツィアから追放された。

1781年の終りにヴィーンに行った。ウィーンに移住した先生は、アントニオ・サリエリの口利きによって台本作家としての能力を認められ、ヨーゼフ2世の宮廷で詩人としての職を得た。この頃、皇帝ヨーゼフⅡは、ヴィーンにおけるドイツ・オペラの推進を断念し、イタリア・オペラをもう一度盛り返そうにさせようとしていた時だったため、先生は時を得て皇帝から大いに気に入られ、重宝され、宮廷劇場の詩人として起用されるに至った(1783年)。先生は語学や詩作能力に優れ、典型的な宮廷劇場詩人となった。宮廷での主な仕事は、フランス語の台本をイタリア語に翻訳することと、ヴィーンの作曲家のために新作の台本を書くことであった。ヴィーンでの最初の台本は、宮廷楽長サリエリ(1750-1825)のためオペラ「1日だけの金持ち」であったが、これは失敗作となる。先生はサリエリの音楽が悪いと主張しています。1786年のマーティン・イ・ソレル(1754-1806)のためのオペラ「ぶっきらぼうだが根は善良」で大成功をおさめ、この年には6つの台本を生み出しています。

先生は、何年もの間、オペラのイタリア語台本を作成する仕事を続け、さまざまな音楽家に膨大な数の台本を提供して成功を収めました。モーツァルトとの共同作業で代表作となる3つのオペラを作ったのは次の年です。1786年『フィガロの結婚』(原作ボーマルシェ)、1787年『ドン・ジョヴァンニ』(台本にはジャコモ・カサノヴァも協力した)、1790年『コジ・ファン・トゥッテ』と・・・。

さて、先生が始めてモーツァルトに出会ったのは、1783年、ウィーンの宮廷でオペラの台本作家として活躍しているときでした。二人を引き合わせたのは、オッフェンバッハの銀行家ウエッツラー男爵だったといわれています。
ウィーンに来て二年、イタリアオペラを作るためにむなしい努力を続けていた二十七歳の若きモーツァルトは、オーストリアでもっとも有名な台本作家である先生に会うのをどれほど心待ちにしていたことでしょう。
(先生が)出会った当初、モーツァルトは先生にとって取るに足らない存在だったのでしょうね。モーツァルトがウィーンに来てはじめて書いたオペラ『後宮からの逃走』が、ヨーセフ二世から芳しい評価を得られなかったということが大きく影響していたのかもしれません。ヨーセフ皇帝は音楽に造詣があり、演奏に関しても秀でた才能を発揮したといわれているが、あたらしいモーツァルトの音楽をすぐに理解することはできなかったのです。

結局お二人が最初のオペラ『フィガロの結婚』に着手したのは、出会ってから2年以上もたった1785年の秋のことでした。当時は、下記のようなやり取りがあったのでしょうね。
「わたしの書く台本に曲をつける気持ちがおありですか」と先生がモーツァルトにたずねる。
「もちろんです、ぜひともやらせてください」即座に答えたものの、モーツァルトはすこしばかり不安げに付け加えた。「ただ、わたしが今考えている芝居をオペラにすることが許されるかどうか……」
「それをなんとかするのが私の仕事ですよ」と。

映画の中に、先生が、『ドン・ジョヴァンニ』の製作をモーツァルトに持ちかけるシーンがありますが、あの時の先生は目を輝かせ、モーツァルトを口説きます。まるで、男娼を買い入れる様に・・・。
そして、『罰せられた放蕩者・ドン・ジョヴァンニ』は、まさに、お二人のこれまでの放蕩振りを踏襲するかのようでありました。作中に、残されたレポレッロがエルヴィーラに「旦那に泣かされたのはあんただけじゃないよ。イタリアでは640人、ドイツでは231人、しかしここスペインでは何と1003人だ。」と有名な「恋人のカタログの歌」を歌って慰められるシーンがありますが、これは先生ご自身の体験に基づいているのではありませんか。先生は、女好きだったのでしょう。少なくとも、この『ドン・ジョヴァンニ』を創作した頃は・・・。この映画は、その時の様子を見事に描いております。同時に、その時の先生の恋愛遍歴を巡る心の葛藤をも見事に描いておられます。おそらく先生は判っていらっしゃったのでしょう。先生が複数の女性に好意を覚えれば、それぞれの女性達はいがみ合い、葛藤し、先生もまたこうした葛藤に巻き込まれ不愉快な思いをすることを・・・。しかし、「判っちゃいるが辞められない!」とは、まさにこの頃の先生の為にあるような言葉。

『ドン・ジョヴァンニ』の最初の場面で、ドン・ジョヴァンニの従者レポレッロは「こんな主人に仕える仕事はいやだ。」とぼやいているシーンがありますが、確かに、浮気を繰り返し放蕩と続けるドン・ジョヴァンニに従うことは苦痛でしたでしょうね。先生は、自分の懺悔を、ドン・ジョヴァンニに語らせていただのですね。
しかし、先生は、同じような天才型・放蕩者:モーツァルトと出会うことで、自らの「放蕩振り」を芸術の域にまで高めてしまうことに成功しました。映画の中で、オペラ 『ドン・ジョヴァンニ』を創作されているお二人は輝いていました。「理解しえる友を得た」という思いが、先生の中に沸き起こったのでしょうね。お二人は、周りの方々をどれほど苦しめたか判りません。

けれども、小生は、先生の「放蕩」や「女性遍歴」を理解します。もちろん、小生が先生の真似をしようとするものではありません。倫理的に許されない行為こそが、崇高な芸術を生み出すという「神様の悪戯」は、本当に皮肉なものです。しかし、清廉潔白な生き方からは、人々を感動させる作品は産み出ないのかもしれません。それと、あれだけ「放蕩」を続ければ、実は、「崇高な境地」というのも誰よりも理解できるのかもしれませんね。
『ドン・ジョヴァンニ』、最後は復讐にやってきた石像がジョヴァンニの手を捕まえ、「悔い改めよ、生き方を変えろ」と迫る。初めて恐怖を感じながらも執拗に拒否するドン・ジョヴァンニ。ついに「もう時間が無い」といって石像が消えると地獄の戸が開き、ジョヴァンニを引きずり込む。そして、アンナは悪人であるドン・ジョバンニのために1年の喪に服すといい、オッターヴィオも従う。エルヴィーラは愛するドンジョバンニのために修道院で余生を送るという。マゼットとツェルリーナは家にもどってようやく落ち着いて新婚生活を始めようとする。レポレッロはもっといい主人を見つけようという。一同、悪事をなすもののなれの果てはこうだと歌い、幕となります。

でも、人々は長らく先生とモーツァルトの創られたこのオペラを愛し続けています。なぜなのでしょう。もし、スクリーンから先生が飛び出して来られるのなら、是非ともじっくり酒でも飲みながら、その辺りの事を伺いたいのです。
映画のなかのダ・ポンテ先生、本当にあなたは偉大でありました。機会があれば、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』を一緒に拝見したいものです。

以上、「放蕩」に徹し切れないものより。

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2010年4月14日水曜日

『コラージュ(糊付け)』の楽しみ方。

小生、昨日・金曜日に映画館へ行った。小生、明日・日曜日にも映画館へ行くでしょう。小生、「映画館」という空間に身を置くことが好きなのです。この点は、別の機会にお話致しましょう。

さて、昨日は、邦画『誘拐ラプソディー』という作品を鑑賞しました。
ストーリーは、至って簡単です。

前科者青年・伊達秀吉は小さな工務店に勤務するも、借金を重ね、どうにもこうにもならなくなって勤務先の工務店を飛び出す。桜の咲く中、自殺を試みるが、それも叶わない。そんな時、偶然、家出少年・伝助と出会う。家出少年の割には、伝助少年の身なりは「お坊ちゃま」スタイルであった。カネに困っていた秀吉は、服役中伝授された「誘拐犯の極意」を思い出す。そして、ついついの出来心から伝助少年を誘拐する。早速、秀吉は伝助少年から携帯電話を奪い、母親に5千万円の身代金を要求する。そして計画通り、秀吉は5千万円を手にする。

ところが、この伝助少年、実は、暴力団の会長のご子息であった。カネを手にした秀吉は、当然、警察よりも始末の悪い暴力団から追われる身となる。家出した伝助少年と共に、追っ手から逃走する秀吉。さらに警察もこの誘拐事件を知ることになり、秀吉は、暴力団と警察から追われる身となる。結局、秀吉は捕まるのだが、逃走中に秀吉は、自身の不遇の反動もあって、伝助に暖かな愛情を注ぐようになる。そして、秀吉と伝助の間には、親子の様な絆が芽生えた。

この作品は、明らかに「コラージュ」である、と小生は思います。上記の前段は、黒澤監督の『天国と地獄』。後段は、クリント・イーストウッド監督/ケビンコスナー主演の『パーフェクト・ワールド』。さらに細部には、その他の作品のエキスが散りばめられています。

では、この『誘拐ラプソディー』、価値の無い作品なのか。小生は、決してその様には考えません。「コラージュ」には、「コラージュ」の面白さがあると思います。

話は、少し逸れますが、数年前、世田谷美術館で、『横尾忠則展』が開催されていました。この展覧会で小生は、横尾先生の得意とする『コラージュ』の醍醐味に酔いしれたのです。

例えば、展示作品の中に『(江戸川乱歩さんの)少年探偵団が、ジュール・ベルヌの海底2万マイルの世界を覗く』といった作品がありました。また、 『宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島決戦が、サーカス小屋で催され、オーディエンスは動物園の動物達』といった作品がありました。さらには、『ミケランジェロと葛飾北斎の競演』もありました。これらは、先程の映画作品と同様、『コラージュ(糊付け)』なのです。つまり、『もとネタ』は他のクリエーターによって創造され、横尾先生はそれを『切り貼り・糊付け』しただけなのです。

しかし面白いのは、「コラージュ」されたエキスが、「コラージュ」されることによって、新たな「世界観」が創出されていたことです。例えば、 『Y字路シリーズ』では、台風前夜の街をバックに、「怪人二十面相」・「少年探偵団」・「白く輝く街灯」という“視覚可能なエキス”が競演し、新たに『湿度・風・静寂』といった“視覚認識できない要素”を巧みに描き出していました。つまり、『もとネタ』は他のクリエーターによって創造されたのですが、それを『切り貼り・糊付け』することによって、それぞれの構成要素に『新しい息吹』を吹き込んでいるのです。『ゼロからの創造』ではありません。しかし、「糊付け」されなければ決して産まれなかった“面白さ”を「コラージュ」によって体感できるのです。これこそが、「コラージュ」の楽しみ方であると思います。

『誘拐ラプソディー』だって、『天国と地獄』と『パーフェクト・ワールド』のエキスがコラージュされることで、“男の友情”の新しい描き方が、体現されたと思うのです。

『ゼロからの創造』も価値あることですが、「糊付け」だって価値のあるクリエート活動なのです。貴方も、雑誌や広告などを切り刻み、その切り刻まれたパーツを別に用紙に「糊付け」して下さい。そこには、貴方にしか創造できない、新たな“世界観”が拡がる筈です。お試しあれ…。

本日の『酒の肴』はここまで。
如何でしたか。ご堪能頂けましたら幸いです。
では、また・・・。

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2010年4月12日月曜日

あなたが、「男の色気」の色気を感じる時はいつ?映画 『今度は愛妻家』と『NINE』に観る「男の色気」

あなたが、「男の色気」の色気を感じる時はいつ?
「男の色気」、これは映像化できるものですか?

ある女性が仰いました。「 “いい男”が、突然、泥沼に落ち込み、シドロモドロになってもがき喘ぎ苦しむ姿のなかに、私は、“男の色気”を感じる。」と。

考えてみて下さい。確かに、“いい男”が悶え苦しむ姿には、「男の色気」があるのかもしれません。出来る男が、順調に出世し、順調に幸福の道を歩み、順調に家庭を築き……、などという姿には、「色気」など全く感じませんね。泥沼の中でもがき苦しむ時、それは確かに「色気」を放つ瞬間なのかもしれません。実は、小生、昨今、この『男の色気についての考察』を実証するような映画作品に出会いました。

その2つの作品とは、洋画の『NINE』と、邦画の『今度は愛妻家』です。

まず、ロブ・マーシャル監督の『NINE』です。

この作品は、フェデリコ・フェリーニによる自伝的映画『8 1/2』をミュージカル化し、トニー賞を受賞した同名ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品です。『8 1/2』に半歩進んだ解釈と音楽とダンスを加えた舞台作品『NINE』の映画化です。

ストーリーは、以下のようになっています。

天才映画監督グイド・コンティーニ(ダニエル・デイ=ルイス演ず)は、イタリア・ローマにある映画スタジオ、チネチッタで、新作「イタリア」の制作進行に行き詰まり、頭を抱えている。撮影開始も間近なのに、未だ脚本は白紙のままだ。そんななか、親友のスタッフ・リリーの協力で海沿いのホテルで休暇をとることにした。そこに妻ルイザを呼び寄せ苦しみを癒して貰おうとした彼は、突然押しかけてきた愛人カルラの誘惑に困惑する。

どうしても創作が出来ない、そこでモガキ喘ぐグイド、彼は、苦しみの果てに自分の弱さを抱きとめてくれる女達の妄想へと逃げ込んでしまう。自分を抱きとめてくれると彼が考えたのは、女優であった妻、可愛い愛人、自分の作品に欠かせない美しき大女優、少年の自分を「男」に目覚めされた娼婦、甘えさせてくれたママ、……。しかし、妄想の中で彼女達に甘え、苦しみから解放されても、現実には彼女達はグイドのもとを去っていく。

彼が拒んだがゆえのカルラの自殺未遂から解放されながらも、夫の猟色趣味と仕事一徹ぶりに愛想を尽かし、グイドのもとを去ったルイザのために、遂にグイドは「イタリア」撮影を中止してしまう。だが二年後、抜け殻のようになったグイドをリリーは新作撮影へと誘う。そして・・・・。

この作品の中で、天才映画監督グイド・コンティーニを演ずるダニエル・デイ=ルイスは、悶える「男の色気」を実に魅力的に発散する。グイドを愛さずにはいられない女達に囲まれながら、愛を選べない彼は、やがて彼女達から拒絶される。苦しむグイドだが、そこには「男の色気」が充満しているのです。

そして、「悶える男の色気」を描いたもう一つの作品は、行定勲監督の作品『今度は愛妻家』です。そして、件の「男の色気」を演ずるのは、豊川悦司さんです。

この作品、豊川悦司さんと薬師丸ひろ子さんとが演ずる「凸凹夫婦」のやり取りに、最初のうちは、オーディエンスはクスクス笑うのですが、次第に場内がシ~ンとなり、最後はすすり泣く音が聞こえてくるのですよ。これ、本当ですよ。何も、オーディエンスは、薬師丸ひろ子さん演じる「妻」が亡くなるから、すすり泣くのではないのです。

ストーリーは、以下の通りです。

人物を撮らせたら右に出るものはいない実力有名カメラマンの夫と、夫に尽くす癒し系の妻・・・、ふたりは擦れ違う。言葉も、望みも交わらない。

献身的な妻に、夫は甘える。駄々子みたいに、好き勝手に振る舞い、妻の気持など全く無視。そんななか、子どもがほしい妻は、夫を無理やり沖縄旅行へ連れ出し、“子作り”を試みる。しかし、喧嘩こそ起こらないが、やはり夫は妻の気持を全く省みない。結局、“子作り”は成功せず。

そんななか、東京へ戻る前に、
「夫に自分の写真を撮って・・」と妻、
「カメラ無い」と夫、
「内緒で持ってきてあるの」と妻、
気乗りしないが、渋々カメラを手にする夫、そしてシャッターに手をかけると、「あっ、結婚指輪、ホテルに忘れて来ちゃった!」と妻。ホテルへ戻る妻、しかし、この時不幸が・・・・・、ホテルへ駆け戻る妻は途中交通事故に、そして「死」…。

さて、ここから自信に満ち満ちていた夫は、妻を失い、嘆き悲しみ、仕事も手に就かず、奈落の底へ・・・、と思うのですが、そのようにはストーリーは展開しません。

仕事が手に就かなくなるのは、予想通りなのですが、相変わらず夫は自信に満ち、浮気を繰り返し、GOING MY WAYの生活。彼の世話は、亡くなった妻のお父さん。これがオカマ。そして、弟子。弟子の彼は、学生時代に賞を総なめにした有望で、心優しく彼に献身するカメラマン。

なぜ、彼(豊川さん演ずるカメラマン)は、妻を失って平気であるのか?

それは、妻が幽霊(但し、夫以外は見ることができない)となって、夫の前に出現する為。そして、夫の相手をしてくれる為。幽霊でも、会話も出来る。相変わらず、夫は妻に、甘えられる。

しかし、献身的な幽霊・妻も、遂に堪忍袋の緒が切れる。夫の前から、姿を消す。「死」を迎えても、夫からは姿を消すことが無かった妻が、今後は本当に姿を消す。 

⇒ すいぶんと熱弁しましたが、ここまでは物語の3分の1です。

あとの3分の2は、妻が姿を消してからの、夫のオタオタ振り、混乱振り、不安な様子を描きます。

もちろん、不安と寂しさに駆られ、献身的に支えてくれている、(死んだ妻の)オカマのお父さんや弟子ともギクシャクしだします。待てど暮らせど、幽霊妻は戻ってこない。そして、妻の一周忌を迎えて、いよいよ(死んだ妻の)オカマのお父さんや弟子と、喧嘩に・・・・・。ここで、幽霊妻が最後の別れにもう一度,夫の前に姿を現す。そして、 この後には、感動が・・・・・。

やはりここでも、豊川さん演ずる「夫」からは、「悶える男の色気」が発散されます。不思議なものです。自信に満ち満ちているときこそ「カッコいい」のに、「男の色気」は、苦悩し、悶え苦しむ姿(つまり「かっこ悪い姿」)から発散されるのです。

ダニエル・デイ=ルイスも豊川悦司も、「いい男」です。しかし、彼らが苦悩に苦しむ時、女性は彼らに「男の色気」を感じる。あぁ~、神様は何と非常な悪戯をされるのか……。

本日の『酒の肴』はここまで。

如何でしたか。ご堪能頂けましたら幸いです。

では、また・・・。

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2010年4月1日木曜日

読んでから観るのが面白い! “ネタバレ注意”

これは、一昨年に仕入れた素材と、昨今仕入れた素材を一緒に用いて創作した「酒の肴」です。
ビールを飲みながら、ゆっくりとご堪能下さい。

小生が中学生のとき、「金田一耕介シリーズ」や「人間の証明」などが映画化され、
『読んでから観るか、観てから読むか』という角川のCMが反響を呼んでいました。
まず、以下の話を読んで下さい。(友人に宛てた「メールの抜粋」なので、言い回しに失礼があります。どうぞ、温厚に受け止めてください。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は変わるが、
先の土曜日に、伊坂幸太郎さんの『ゴールデンスランバー』を読み、その後、伊坂作品 『オーデュボンの祈り』・『重力ピエロ』と立て続けに読破した。
おかげで、昼と夜が逆転した生活リズムになっている。

ショットバーの若いバーテンさんに伊坂作品を紹介され、これまでも『ラッシュライフ』・『グラスポッパー』・『チルドレン』・『死神の精度』・『陽気なギャングが地球を回す』・『アヒルと鴨のコインロッカー』などを読んだ。
(補足:その後、伊坂作品は、2作品を除いて全て読破しました。)
伊坂さんはミステリー作家とされるが、
作品は非常にシュール・前衛的であり、
ストーリーは時制を縦横無尽に飛び廻る為、プロットは緻密に構成され、
台詞は印象的で、心に残るフレーズが多々登場する。
幾つかの作品は映画化もされた。
数年前から直木賞候補の常連であり、いつ受賞してもおかしくはない。
(唯、昨年はノミネートを辞退されたが…。)
東北出身(東北大卒)で、作品の舞台が仙台になることが多い。

さて、上記の『ゴールデンスランバー』であるが、
この作品、本年度、数々の賞を受賞しておるそうな。
新聞広告を見、偶々立ち寄った古本屋でこの作品を見つけたので買い求めた。

『ゴールデンスランバー』、直訳すれば、『黄金のまどろみ』とでもなろうか。
貴公もご存知の、ビートルズの『アビーロード』に同じ題名の曲が収録されている。
作品中でも、この曲がポールによって創られた背景などが紹介され、主人公の心理描写に影響を持つ。
ストーリーは、次の通りである。

仙台で、時の総理大臣が暗殺され、元宅配便業者に勤めていた若者(青柳)が、この事件の犯人に仕立て上げられる。
もちろん、この若者は事件には一切関わっていない。つまり、『偽の目撃証言』や『偽造された防犯ビデオ映像』などによって、ひとりの若者が犯人にでっち上げられるのである。
若者は警察の手から逃げる、逃げる。そして、また逃げる。

この逃亡の2日間+半日を描いた作品である。
結果は、様々な人々の助けにより、最期には若者は整形手術をほどこし、逃亡成功となる。
その後、事件は人々から忘れられるのだが、誰も若者を犯人だとおもうにものは居らず、真の犯人は、当時の副総理とか、政界の黒幕とか、政敵とか様々な憶測が飛び交う。
また、この事件逮捕に関わった警察官・事件の目撃者・事件捜査協力者などは、その後、次々と事故死に会う。
ただ、あくまで作品の中心は、『逃亡する2日間+半日』の様相である。

若者の逃亡を助けるのは、音信不通であったかつての友人や、殺人逃亡犯や、かつての職場の先輩や、偶然出会った泥棒のおっちゃんなどなどである。
このあたりのストーリー構成は、本当に緻密である。また、伏線も巧みに描かれている。
また、若者が犯人に仕立てられる過程は、事件より数年前より開始されるのだが、この辺りのプロットの組み方も憎い!
悶々としていた小生だが、この作品は一気に読破した。

貴公もお気づきだと思うが、この作品は、『ケネディ大統領暗殺事件』を下敷きにしている。
結局、『現在、オズワルドを犯人と思う人は、あまりいないのではないか』、ということである。
さらに、ビートルズがバラバラになった時、どうしてポールが『子守唄』のような『ゴールデンスランバー』という曲を創り、最期のアルバム(収録が最期と言う意味)にこの曲を収録したのか。
ポールは何をこの曲に込めたのか、ということも、この作品の主題と関連してくる。

若きクリエーター・伊坂幸太郎、なかなかやるものである。
久々に堪能した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記は、小生が友人に、一昨年に送ったメールです。
さて、この伊坂幸太郎著・『ゴールデンスランバー』(黄金のまどろみ)が、現在、映画になって劇場公開されています。
小生もさっそく、映画版 『ゴールデンスランバー』を鑑賞しました。

ここから、本日の「酒の肴」は、この映画版『ゴールデンスランバー』について語ることになります。
さて、映画版は、基本的には小説版に忠実にストーリー構成がなされています。
映画版では、総理大臣暗殺後の政界の様相には殆ど触れていない点が、小説版と異なるところです。
映画版は、あくまでも、犯人に仕立て上げられた元宅配便業者の若者(青柳)が逃走をする様を中心に展開されています。
逃走が、(警察やマスコミとの)闘争になっていくのですが、
若者を助けるのが、音信不通であった大学時代の2名の親友と、殺人逃亡犯や、宅配便勤務時の職場の先輩や、数ヶ月前に助けたアイドル歌手や、泥棒のおっちゃんです。
若者は、彼らに助けられ、励まされて、逃走を、(自分を暗殺犯に仕立てようとする警察との)闘争に昇華し、さらに逃走へ戻るということになる。

映画版では、
逃走中に、嘗ての大学時代の思い出がコラージュされ、
闘争中に、逃走している若者を応援する人々の“暖かい思い”が、オーディエンスの胸の中に入り込み、
最後は、オーディエンスも“若者”(彼の名は青柳)と一緒に、意識の中で逃走を開始してしまうのであります。
映画版は、音楽・映像によって、オーディエンスも主人公の青柳君に、容易に同化されてしまうのです。

まぁ~、「読んでから観る」と、
①あの場面は、どのような映像になるのだろうか。
②あの主人公は、一体、どんな声を発するのであろうか。
③(地下水道を巧みに利用して逃走するのですが)、あの地下水道はどのように映像化されるのか。
④総理大臣爆破シーンは、どのような映像になるのか。
⑤ビートルズの「ゴールデンスランバー」は、映画の中でどのように使われるのか。
等等、視聴前からワクワクしてしまいますなぁ。

伊坂さんは、時々、登場人物に哲学を語らせるが、映画ではこの点どうするのか?
なども気になっていましたなぁ。
単に、「大脱走」のスリルとサスペンスに留まらず、
何故、本当は仲が悪くなっていた、ビートルズの4人が、アビーロード、そして『ゴールデンスランバー』を創り上げたのか…、
何故、花火はパソコンで打ち上げるのか・・・、
何故、オズワルドはケネディ暗殺の犯人に仕立て上げられたのか…、
など興味深いテーマも一緒に語られます。

小生、非常に堪能させて頂きました。
まぁ~、ブックオフで原作¥800、映画はチケット屋のディスカウントで¥1200、合計¥2000の投資でした。
それにしては、楽しめたなぁ~。

まぁ~、「読んでから観る」のも、面白いですよ。
おっと、少々、長くなってしまいました。
本日の「酒の肴」は、ここまでです。
ご堪能頂けましたか。では、また。

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2010年3月24日水曜日

鬼才:ガイ・リッチーが解き放つ『シャーロック・ホームズ』、あなたはご堪能しましたか?“ネタバレ注意”

小生、この作品を観終えてまず思った。
「この作品のタイトルが、もし『シャーロック・ホームズ』でなかったとしたら、果たしてこれ程オーディエンスが集まるのだろうか?」と……。
小説の世界では、『シャーロック・ホームズ』は、とっくにコナン・ドイルの手を離れ、様々なミステリー作家によって新たな境地が切り開かれている。
唯、映像ではどうなのであろうか?

今回の作品は、(予告編を観るだけで充分ご理解いただけると思うが)、「既存の“ホームズ”のイメージ」は簡単に打ち砕かれる。
監督がガイ・リッチーということで、予測はできたが…。
小生、ガイ・リッチーの前作、『リボルバー』を鑑賞していたので、
彼の独特なマシンガンの様な「テンポ展開」に、オーディエンスは追従を求められ、追従できなければ、ストーリーは把握できなくなることは予想していた。
さらに、斬新な映像と、登場人物の奇妙なのだが印象に残るキャラ設定も、予告編を見て、予測していた。

さて、本編では、具体的にどのような「シャーロック・ホームズ」、そして、「ワトソン」が登場するのであろうか・・・。

もちろん「ホームズ」はベーカー街を闊歩するが、その様相は、古典派の「ホームズ・ファン」には馴染まないかも知れぬ。でも、好き嫌いは別にして、今回の「ホームズ」(ロバート・ダウ二―Jr.)そして「ワトソン」(ジュ-ド・ロウ)は、やはりオーディエンスの脳裏に焼きつきますよ!

今回、ホームズは、結婚を控えたワトソンに嫉妬する。だから、一部のファンからは、「ホームズは“ゲイ”なのぅ。」とのコメントまで出る始末。しかし、漫才あり、格闘シーンあり、「ワトソン」の結婚を巡って「ホームズ」の嫉妬あり…、となかなか楽しめます。さらに楽しめるのは、ホームズが習慣的に2週間は部屋に篭って、奇行を繰り返すこと。おまけは、「ホームズ」が賭博ボクシングのボクシング・プレーヤーとなること。

それと、古典派ファンの愛した「ホームズ」のトーキング・テンポが、本作品では、超アップテンポになってしまっていることも、「ホームズ」変貌の印象です。
この点、古典派ホームズのトーキング・テンポが出現するのは、ワトソンの婚約者(ホームズの嫉妬の対照)を交えてのディナーの席のみ。
このときは、古典派のトーキング・テンポで、以下の推理(?)結果が披露されます。

(ホームズ)「あぁ~、あなたは、教師だぁ。それも、腕白盛りの男の子を教えていらっしゃる。」

(ホームズ)「なぜって、それは、貴方の耳たぶに青いインクが付いているからですよ。これは、子供達と交わっている証拠です。 あっ、それから、あなたは離婚されておられますね。なぜなら、薬指に白い指輪の跡がある。・・・」 (ここで、婚約者から、テーブルの上のワインをバシャッと掛けられます。)

古典派ホームズの「推理結果の披露」の場面は、ホームズの実に紳士的なトーキング・テンポが、多くの読者を魅了してきました。しかし、今回は、上記の場面以外、超アップテンポで「推理結果の披露」が語られます。軽快なストリングスの音楽に乗って、「こうで、こうで、こうなって、こうなるから、こうなって、彼が犯人だ!」と、まるで、マシンガン・トークとなってしまったのです。

まぁ~、好き嫌いはあれど、ガイ・リッチーのホームズは、我々を楽しませてくれますよ。

唯、「悪」のキャラがスマート過ぎたかもしれません。「悪」は、古典派「ホームズ・ファン」でも、それほど違和感はないのでは…。
これが、あの『ダークナイト』級であれば、まさにこの作品は、新たな『シャーロック・ホームズ物語』となったのでしょう。

しかし、
「古の昔より同じ年齢を保たれている『名探偵」』を、勝手な自らの解釈でイメージチェンジし、それを世界に発信する。」、などという芸当は、よほど己に自信の無いクリエーターにはできませんよ!
「言葉」の世界ならいいですよ。また、リメイクなら判りますよ。
しかし、今回はクリエートされた「映像」の世界です。「ホームズ」の名を借りて集客させるのはよいが、作品が“ダサイ”では、あとが大変ですよ。

唯、ここは流石の「ガイ・リッチー」監督(小生、本作品と『リボルバー』しか鑑賞してませんが…)、自信に満ち満ちた剛速球勝負です!
この「剛速球」と「マシンガン・リズム」にオーディエンスは、引き込まれるのです。
そして、遂には、この作品が「シャーロック・ホームズ」であったことなど、どうでも良くなってしまうのです。

如何でしたか。「酒の肴」、ご堪能頂けましたか。
映画のホームズ、TV〈BBC放送〉のホームズ、小説のホームズ、を「酒の肴」にしてワインなどを飲まれては・・・。

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2010年3月16日火曜日

「戦争も、遂に、(一種の)“ドラッグだ!”」と認識される時代!映画『ハート・ロッカー』を観て思うこと。“ネタバレ注意”

先週、本年度のアカデミー賞が発表になりました。
これを受けて、『酒の肴』を急遽、創作しました。
今宵の『酒の肴』、スコッチに良く合います。では、ゆっくりとご堪能あれ!

今回は、ジェームスキャメロンの『アバター』か、キャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』か、と言われておりました。結果、『ハート・ロッカー』は、下記の6部門の栄誉に輝きました。

作品賞 ハート・ロッカー
監督賞 キャスリン・ビグロー(ハート・ロッカー)
脚本賞 ハート・ロッカー
音響編集賞 ハート・ロッカー
編集賞 ハート・ロッカー
録音賞 ハート・ロッカー

さて、本日の「酒の肴」は、この『ハート・ロッカー』を素材にして、「酒の肴」を創作しました。
まず、この作品、当初、「反戦メッセージ」の強い作品だと思っておりました。
が、しかし、「反戦」というよりも、「戦争はドラッグだ!」でした。
そして、「“戦争と言うドラッグ”に嵌った男達の姿」を描いた映画でありました。

『地上最大の作戦』から、『プラトゥーン』を経て、『ハート・ロッカー』・・・、確かに「戦争映画」の様相は進化しておりますね。唯、この作品、「新しい戦争映画」というより、「ドラッグに嵌った男達を描いた映画」でしたねぇ。

まず「戦争はドラッグだ!」というメッセージが画面にでます。
この作品は、まさに「戦争はドラッグだ!」ということを具体的に映像にするとこのような作品になる、ということをオーディエンスに示した作品です。
「ハート・ロッカー」とは、米軍の中では「棺桶」とか「行きたくない場所」という意味で使われている言葉だそうです。
ストーリーは、世界で最も危険な仕事の一つ、アメリカ軍の爆発物処理班(3人で1班構成)のある兵士を追った物語です。事実として、爆発物処理に携わる技術兵の死亡率は、他の兵士よりもはるかに多いとのことです。

舞台は、2004年夏のイラク・バグダッドです。
爆弾処理と言っても、不発弾や地雷除去などと異なり、一つ間違えば「ドカァ~ン」です。
しかも、場合によっては、起爆装置を手にした、テロリスト達が、爆弾処理活動現場の周りに徘徊しているなどということもあるのです。

ストーリーも、ある日、爆弾の処理を終え、退避しようとした瞬間に突如爆弾が炸裂し、処理班のひとりが殉職するシーンから物語は展開します。
殉職者(=リーダーだった。)の後継に配属されてきたのが、ウィリアム・ジェームズ二等兵。但し、このジェームズ、少々チームワークの点で問題あり。
危険な任務である「爆弾処理作業」なのに、基本的な安全対策も行わず、まるで死に対する恐れが全くないように振舞う。その為、補佐に就くサンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵は、いつ死ぬかもしれない緊張感に直面させられる。ジェームズが超一級の爆弾処理の腕をもっていることは認めても、ふたりは、徐々にジェームズへの不安や不満を募らせる。

そんななかで、作品では、6つの「爆弾処理要請現場」が登場します。
ストーリーが進展する毎に、段々と、「爆弾処理作業」の難易度があがっていきます。
この辺り、下手なホラー映画やサスペンス映画よりも、よっぽどハラハラ・ドキドキするのです。
爆弾処理が無事終了するごとに、館内から「はぁ~」っと、安堵の溜息が聞こえてきそうな雰囲気になります。
鑑賞中は、手に汗握る感じです。

いゃぁ~、オーディエンスも、ジェームズ班長の傍で、爆弾処理作業に同行しているような錯覚に陥りますよ!それぐらい、テンションの高め方、(爆弾処理が終わった後の)クールダウンの手法が巧みです。
残念ながら、「6場面」とも成功とは行かず、
「5の現場」では、技術兵・エルドリッジが敵の銃弾に足を撃たれ、
「6の現場」では、爆弾処理に失敗します。

主人公のジェームズは、虚勢を張るただの命知らずではない。
ある意味、勇敢な爆弾処理のプロフェッショナルなのです。
難易度の高い「処理現場」でも、冷静に、そして正確に爆弾処理を淡々とこなします。
では高度なチームワークが要求される爆弾処理作業を遂行するのに、なぜ、彼はチームワークに頼らず、作業のルールを無視し、仲間を不安に陥れて平気であるのか・・・。

彼は、自分が処理した爆弾のパーツを必ずひとつ現場から持ち出し、自らのコレクションとしている。
常に厳しい緊張感に身を於かねばならず、この緊張感から解放されるために、
時には奇行を、時には異常なまでにテンションを高め、そして多量の酒を煽ってなんとか精神面の安定を保つ。
ところが、段々この緊張感が快感になる。

作業現場で活動している時は、まるでドラッグを吸っている時の様な状態になってくるのである。
だから、ルールなんて関係なくなってくる。だって、ドラッグをやるときにルールなんてありますか?
この辺りの主人公・ジェームズの真相心理の描き方が、物凄く美味いのです!
戦場の持つ不思議な魔力、
しかし、人類は、この「魔力」を否定しなければならない。
しかし、誰が「魔力」を破壊するのか?
「魔力破壊」に挑めば、その者は必ず、「戦争の魔力」にはまり込むという矛盾。

なかなか着想の面白い作品です。
そして、作品がスタートすると、オーディエンスはスクリーンから目を離せなくなる“危険な作品”でもあります。

ご興味があったら、劇場へ…。

本日の『酒の肴」はここまでです。
如何でしたか。
ご堪能頂けましたら幸いです。

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2010年3月10日水曜日

「ノンフィクション」に「フィクション」をコラージュすること

船戸与一 著『満州国演義』に思うこと。

著者・船戸さんも度々訪れる、とある荻窪の居酒屋の女将から推奨され、本作品・1~5巻までを読んだ。
40年以上船戸さんを知る女将が初めて褒めた作品だそうである。
嘗て、ゴルゴ13の脚本なども手掛けた著者は、好奇心を擽る数々の『フィクションの世界』を描かれた。

船戸さんの作品は、限りなく「ノンフィクション」に近い舞台を創作されたとしても、それは「フィクション」の世界であった。

しかし本作は、日本人であれば小学生でも知りうる『ノンフィクションの世界』(満州事変)に『フィクションの世界』(敷島4兄弟)をコラージュ(糊付け)したものである。
しかも、『ノンフィクションとして登場する歴史上実在した人物』は、作中、台詞を発しない。
ストーリーを創るのは、コラージュされた『フィクション・敷島4兄弟 およびそれを取り巻く人々』である。
多くの歴史小説が、『ノンフィクション』である歴史上の人物に語らせるなかで、本作は、歴史の中に、『フィクション』である架空の人物をコラージュし、語らせ、歴史を躍動させる。
この構成が何より面白い!  
そして、(4巻に詳細があるが)『国民』が存在しなかった『満州国』という『国家』が、何故、存在しえるのか。この問に対する答えを、本作は読者に語る。
官僚(長男)・馬賊(次男)・軍人(三男)・アナーキスト(四男)という立場を異にする、敷島4兄弟が、『満州国』を巡って、『追従』(長男)、『無関心』(次男)、『肯定』(三男)、『否定』(四男)という4機軸でストーリーを展開する。
それは、肯定・否定・昇華という弁証法的アプローチで『満州国』を描き、読者に『満州国』の存在感をよりリアルに感じさせる。
本作品はまだまだ続く。異なる4機軸・敷島4兄弟が『風車』のように回転しながら、『ノンフィクション』の世界を駈け巡る。
この『風車』の中心は何か。それは、今後の作品進行のなかで明らかにされるであろう。
満州国の存在に対して、肯定・否定を繰り返す中で、『昇華』される『真理』は何か。

世界史の中でも、「国民が存在しなかった国」というのは非常に珍しいのではないだろうか。(満州国・国民と言うものは存在しなかった。)
こうした歴史のエポックに目を着け、その「存在意義」を、「フィクション」である敷島4兄弟に語らせる。
「フィクション」を「ノンフィクション」にコラージュする。
あぁ~、なんて斬新で新鮮な試みなのであろうか。
新たなテーストの歴史小説を発見した喜びに、小生は浸っている。
あぁ~、早く、6巻を読みたいものだ。


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2010年3月9日火曜日

「酒の肴」を創作するにあたって

【POINT 1】
私は、様々なクリエーター(職人さんらも含め)と接触してきたし、今後も多くのクリエーターの方々と出会いたい。クリエーターの方々、お話をお聞かせ下さい。必ず、コメントを返信します。

【POINT 2】
コラム『酒の肴』は、クリエーター達の活動(特に、映画や小説)の素晴らしさを、ひとりでも多くの方々に伝達する為に書き綴ったものです。

【POINT 3】
「酒の肴」では、私が感性を刺激された「クリエーター達の作品」を、紹介したいと思います。
具体的には、「作品のどこに感性を刺激されたのか!」ということです。
感性を刺激されないものを紹介しても意味がありません。クリエーター達を批判しても全く意味がありません。
映画など、わずか1分間の「カット」にクリエーター達は命をかけるのです。
こうしたクリエーター達の営みを、酒を飲みながら、ご賞味あれ・・・・。

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