2010年3月24日水曜日

鬼才:ガイ・リッチーが解き放つ『シャーロック・ホームズ』、あなたはご堪能しましたか?“ネタバレ注意”

小生、この作品を観終えてまず思った。
「この作品のタイトルが、もし『シャーロック・ホームズ』でなかったとしたら、果たしてこれ程オーディエンスが集まるのだろうか?」と……。
小説の世界では、『シャーロック・ホームズ』は、とっくにコナン・ドイルの手を離れ、様々なミステリー作家によって新たな境地が切り開かれている。
唯、映像ではどうなのであろうか?

今回の作品は、(予告編を観るだけで充分ご理解いただけると思うが)、「既存の“ホームズ”のイメージ」は簡単に打ち砕かれる。
監督がガイ・リッチーということで、予測はできたが…。
小生、ガイ・リッチーの前作、『リボルバー』を鑑賞していたので、
彼の独特なマシンガンの様な「テンポ展開」に、オーディエンスは追従を求められ、追従できなければ、ストーリーは把握できなくなることは予想していた。
さらに、斬新な映像と、登場人物の奇妙なのだが印象に残るキャラ設定も、予告編を見て、予測していた。

さて、本編では、具体的にどのような「シャーロック・ホームズ」、そして、「ワトソン」が登場するのであろうか・・・。

もちろん「ホームズ」はベーカー街を闊歩するが、その様相は、古典派の「ホームズ・ファン」には馴染まないかも知れぬ。でも、好き嫌いは別にして、今回の「ホームズ」(ロバート・ダウ二―Jr.)そして「ワトソン」(ジュ-ド・ロウ)は、やはりオーディエンスの脳裏に焼きつきますよ!

今回、ホームズは、結婚を控えたワトソンに嫉妬する。だから、一部のファンからは、「ホームズは“ゲイ”なのぅ。」とのコメントまで出る始末。しかし、漫才あり、格闘シーンあり、「ワトソン」の結婚を巡って「ホームズ」の嫉妬あり…、となかなか楽しめます。さらに楽しめるのは、ホームズが習慣的に2週間は部屋に篭って、奇行を繰り返すこと。おまけは、「ホームズ」が賭博ボクシングのボクシング・プレーヤーとなること。

それと、古典派ファンの愛した「ホームズ」のトーキング・テンポが、本作品では、超アップテンポになってしまっていることも、「ホームズ」変貌の印象です。
この点、古典派ホームズのトーキング・テンポが出現するのは、ワトソンの婚約者(ホームズの嫉妬の対照)を交えてのディナーの席のみ。
このときは、古典派のトーキング・テンポで、以下の推理(?)結果が披露されます。

(ホームズ)「あぁ~、あなたは、教師だぁ。それも、腕白盛りの男の子を教えていらっしゃる。」

(ホームズ)「なぜって、それは、貴方の耳たぶに青いインクが付いているからですよ。これは、子供達と交わっている証拠です。 あっ、それから、あなたは離婚されておられますね。なぜなら、薬指に白い指輪の跡がある。・・・」 (ここで、婚約者から、テーブルの上のワインをバシャッと掛けられます。)

古典派ホームズの「推理結果の披露」の場面は、ホームズの実に紳士的なトーキング・テンポが、多くの読者を魅了してきました。しかし、今回は、上記の場面以外、超アップテンポで「推理結果の披露」が語られます。軽快なストリングスの音楽に乗って、「こうで、こうで、こうなって、こうなるから、こうなって、彼が犯人だ!」と、まるで、マシンガン・トークとなってしまったのです。

まぁ~、好き嫌いはあれど、ガイ・リッチーのホームズは、我々を楽しませてくれますよ。

唯、「悪」のキャラがスマート過ぎたかもしれません。「悪」は、古典派「ホームズ・ファン」でも、それほど違和感はないのでは…。
これが、あの『ダークナイト』級であれば、まさにこの作品は、新たな『シャーロック・ホームズ物語』となったのでしょう。

しかし、
「古の昔より同じ年齢を保たれている『名探偵」』を、勝手な自らの解釈でイメージチェンジし、それを世界に発信する。」、などという芸当は、よほど己に自信の無いクリエーターにはできませんよ!
「言葉」の世界ならいいですよ。また、リメイクなら判りますよ。
しかし、今回はクリエートされた「映像」の世界です。「ホームズ」の名を借りて集客させるのはよいが、作品が“ダサイ”では、あとが大変ですよ。

唯、ここは流石の「ガイ・リッチー」監督(小生、本作品と『リボルバー』しか鑑賞してませんが…)、自信に満ち満ちた剛速球勝負です!
この「剛速球」と「マシンガン・リズム」にオーディエンスは、引き込まれるのです。
そして、遂には、この作品が「シャーロック・ホームズ」であったことなど、どうでも良くなってしまうのです。

如何でしたか。「酒の肴」、ご堪能頂けましたか。
映画のホームズ、TV〈BBC放送〉のホームズ、小説のホームズ、を「酒の肴」にしてワインなどを飲まれては・・・。

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2010年3月16日火曜日

「戦争も、遂に、(一種の)“ドラッグだ!”」と認識される時代!映画『ハート・ロッカー』を観て思うこと。“ネタバレ注意”

先週、本年度のアカデミー賞が発表になりました。
これを受けて、『酒の肴』を急遽、創作しました。
今宵の『酒の肴』、スコッチに良く合います。では、ゆっくりとご堪能あれ!

今回は、ジェームスキャメロンの『アバター』か、キャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』か、と言われておりました。結果、『ハート・ロッカー』は、下記の6部門の栄誉に輝きました。

作品賞 ハート・ロッカー
監督賞 キャスリン・ビグロー(ハート・ロッカー)
脚本賞 ハート・ロッカー
音響編集賞 ハート・ロッカー
編集賞 ハート・ロッカー
録音賞 ハート・ロッカー

さて、本日の「酒の肴」は、この『ハート・ロッカー』を素材にして、「酒の肴」を創作しました。
まず、この作品、当初、「反戦メッセージ」の強い作品だと思っておりました。
が、しかし、「反戦」というよりも、「戦争はドラッグだ!」でした。
そして、「“戦争と言うドラッグ”に嵌った男達の姿」を描いた映画でありました。

『地上最大の作戦』から、『プラトゥーン』を経て、『ハート・ロッカー』・・・、確かに「戦争映画」の様相は進化しておりますね。唯、この作品、「新しい戦争映画」というより、「ドラッグに嵌った男達を描いた映画」でしたねぇ。

まず「戦争はドラッグだ!」というメッセージが画面にでます。
この作品は、まさに「戦争はドラッグだ!」ということを具体的に映像にするとこのような作品になる、ということをオーディエンスに示した作品です。
「ハート・ロッカー」とは、米軍の中では「棺桶」とか「行きたくない場所」という意味で使われている言葉だそうです。
ストーリーは、世界で最も危険な仕事の一つ、アメリカ軍の爆発物処理班(3人で1班構成)のある兵士を追った物語です。事実として、爆発物処理に携わる技術兵の死亡率は、他の兵士よりもはるかに多いとのことです。

舞台は、2004年夏のイラク・バグダッドです。
爆弾処理と言っても、不発弾や地雷除去などと異なり、一つ間違えば「ドカァ~ン」です。
しかも、場合によっては、起爆装置を手にした、テロリスト達が、爆弾処理活動現場の周りに徘徊しているなどということもあるのです。

ストーリーも、ある日、爆弾の処理を終え、退避しようとした瞬間に突如爆弾が炸裂し、処理班のひとりが殉職するシーンから物語は展開します。
殉職者(=リーダーだった。)の後継に配属されてきたのが、ウィリアム・ジェームズ二等兵。但し、このジェームズ、少々チームワークの点で問題あり。
危険な任務である「爆弾処理作業」なのに、基本的な安全対策も行わず、まるで死に対する恐れが全くないように振舞う。その為、補佐に就くサンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵は、いつ死ぬかもしれない緊張感に直面させられる。ジェームズが超一級の爆弾処理の腕をもっていることは認めても、ふたりは、徐々にジェームズへの不安や不満を募らせる。

そんななかで、作品では、6つの「爆弾処理要請現場」が登場します。
ストーリーが進展する毎に、段々と、「爆弾処理作業」の難易度があがっていきます。
この辺り、下手なホラー映画やサスペンス映画よりも、よっぽどハラハラ・ドキドキするのです。
爆弾処理が無事終了するごとに、館内から「はぁ~」っと、安堵の溜息が聞こえてきそうな雰囲気になります。
鑑賞中は、手に汗握る感じです。

いゃぁ~、オーディエンスも、ジェームズ班長の傍で、爆弾処理作業に同行しているような錯覚に陥りますよ!それぐらい、テンションの高め方、(爆弾処理が終わった後の)クールダウンの手法が巧みです。
残念ながら、「6場面」とも成功とは行かず、
「5の現場」では、技術兵・エルドリッジが敵の銃弾に足を撃たれ、
「6の現場」では、爆弾処理に失敗します。

主人公のジェームズは、虚勢を張るただの命知らずではない。
ある意味、勇敢な爆弾処理のプロフェッショナルなのです。
難易度の高い「処理現場」でも、冷静に、そして正確に爆弾処理を淡々とこなします。
では高度なチームワークが要求される爆弾処理作業を遂行するのに、なぜ、彼はチームワークに頼らず、作業のルールを無視し、仲間を不安に陥れて平気であるのか・・・。

彼は、自分が処理した爆弾のパーツを必ずひとつ現場から持ち出し、自らのコレクションとしている。
常に厳しい緊張感に身を於かねばならず、この緊張感から解放されるために、
時には奇行を、時には異常なまでにテンションを高め、そして多量の酒を煽ってなんとか精神面の安定を保つ。
ところが、段々この緊張感が快感になる。

作業現場で活動している時は、まるでドラッグを吸っている時の様な状態になってくるのである。
だから、ルールなんて関係なくなってくる。だって、ドラッグをやるときにルールなんてありますか?
この辺りの主人公・ジェームズの真相心理の描き方が、物凄く美味いのです!
戦場の持つ不思議な魔力、
しかし、人類は、この「魔力」を否定しなければならない。
しかし、誰が「魔力」を破壊するのか?
「魔力破壊」に挑めば、その者は必ず、「戦争の魔力」にはまり込むという矛盾。

なかなか着想の面白い作品です。
そして、作品がスタートすると、オーディエンスはスクリーンから目を離せなくなる“危険な作品”でもあります。

ご興味があったら、劇場へ…。

本日の『酒の肴」はここまでです。
如何でしたか。
ご堪能頂けましたら幸いです。

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2010年3月10日水曜日

「ノンフィクション」に「フィクション」をコラージュすること

船戸与一 著『満州国演義』に思うこと。

著者・船戸さんも度々訪れる、とある荻窪の居酒屋の女将から推奨され、本作品・1~5巻までを読んだ。
40年以上船戸さんを知る女将が初めて褒めた作品だそうである。
嘗て、ゴルゴ13の脚本なども手掛けた著者は、好奇心を擽る数々の『フィクションの世界』を描かれた。

船戸さんの作品は、限りなく「ノンフィクション」に近い舞台を創作されたとしても、それは「フィクション」の世界であった。

しかし本作は、日本人であれば小学生でも知りうる『ノンフィクションの世界』(満州事変)に『フィクションの世界』(敷島4兄弟)をコラージュ(糊付け)したものである。
しかも、『ノンフィクションとして登場する歴史上実在した人物』は、作中、台詞を発しない。
ストーリーを創るのは、コラージュされた『フィクション・敷島4兄弟 およびそれを取り巻く人々』である。
多くの歴史小説が、『ノンフィクション』である歴史上の人物に語らせるなかで、本作は、歴史の中に、『フィクション』である架空の人物をコラージュし、語らせ、歴史を躍動させる。
この構成が何より面白い!  
そして、(4巻に詳細があるが)『国民』が存在しなかった『満州国』という『国家』が、何故、存在しえるのか。この問に対する答えを、本作は読者に語る。
官僚(長男)・馬賊(次男)・軍人(三男)・アナーキスト(四男)という立場を異にする、敷島4兄弟が、『満州国』を巡って、『追従』(長男)、『無関心』(次男)、『肯定』(三男)、『否定』(四男)という4機軸でストーリーを展開する。
それは、肯定・否定・昇華という弁証法的アプローチで『満州国』を描き、読者に『満州国』の存在感をよりリアルに感じさせる。
本作品はまだまだ続く。異なる4機軸・敷島4兄弟が『風車』のように回転しながら、『ノンフィクション』の世界を駈け巡る。
この『風車』の中心は何か。それは、今後の作品進行のなかで明らかにされるであろう。
満州国の存在に対して、肯定・否定を繰り返す中で、『昇華』される『真理』は何か。

世界史の中でも、「国民が存在しなかった国」というのは非常に珍しいのではないだろうか。(満州国・国民と言うものは存在しなかった。)
こうした歴史のエポックに目を着け、その「存在意義」を、「フィクション」である敷島4兄弟に語らせる。
「フィクション」を「ノンフィクション」にコラージュする。
あぁ~、なんて斬新で新鮮な試みなのであろうか。
新たなテーストの歴史小説を発見した喜びに、小生は浸っている。
あぁ~、早く、6巻を読みたいものだ。


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2010年3月9日火曜日

「酒の肴」を創作するにあたって

【POINT 1】
私は、様々なクリエーター(職人さんらも含め)と接触してきたし、今後も多くのクリエーターの方々と出会いたい。クリエーターの方々、お話をお聞かせ下さい。必ず、コメントを返信します。

【POINT 2】
コラム『酒の肴』は、クリエーター達の活動(特に、映画や小説)の素晴らしさを、ひとりでも多くの方々に伝達する為に書き綴ったものです。

【POINT 3】
「酒の肴」では、私が感性を刺激された「クリエーター達の作品」を、紹介したいと思います。
具体的には、「作品のどこに感性を刺激されたのか!」ということです。
感性を刺激されないものを紹介しても意味がありません。クリエーター達を批判しても全く意味がありません。
映画など、わずか1分間の「カット」にクリエーター達は命をかけるのです。
こうしたクリエーター達の営みを、酒を飲みながら、ご賞味あれ・・・・。

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