2010年4月12日月曜日

あなたが、「男の色気」の色気を感じる時はいつ?映画 『今度は愛妻家』と『NINE』に観る「男の色気」

あなたが、「男の色気」の色気を感じる時はいつ?
「男の色気」、これは映像化できるものですか?

ある女性が仰いました。「 “いい男”が、突然、泥沼に落ち込み、シドロモドロになってもがき喘ぎ苦しむ姿のなかに、私は、“男の色気”を感じる。」と。

考えてみて下さい。確かに、“いい男”が悶え苦しむ姿には、「男の色気」があるのかもしれません。出来る男が、順調に出世し、順調に幸福の道を歩み、順調に家庭を築き……、などという姿には、「色気」など全く感じませんね。泥沼の中でもがき苦しむ時、それは確かに「色気」を放つ瞬間なのかもしれません。実は、小生、昨今、この『男の色気についての考察』を実証するような映画作品に出会いました。

その2つの作品とは、洋画の『NINE』と、邦画の『今度は愛妻家』です。

まず、ロブ・マーシャル監督の『NINE』です。

この作品は、フェデリコ・フェリーニによる自伝的映画『8 1/2』をミュージカル化し、トニー賞を受賞した同名ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した作品です。『8 1/2』に半歩進んだ解釈と音楽とダンスを加えた舞台作品『NINE』の映画化です。

ストーリーは、以下のようになっています。

天才映画監督グイド・コンティーニ(ダニエル・デイ=ルイス演ず)は、イタリア・ローマにある映画スタジオ、チネチッタで、新作「イタリア」の制作進行に行き詰まり、頭を抱えている。撮影開始も間近なのに、未だ脚本は白紙のままだ。そんななか、親友のスタッフ・リリーの協力で海沿いのホテルで休暇をとることにした。そこに妻ルイザを呼び寄せ苦しみを癒して貰おうとした彼は、突然押しかけてきた愛人カルラの誘惑に困惑する。

どうしても創作が出来ない、そこでモガキ喘ぐグイド、彼は、苦しみの果てに自分の弱さを抱きとめてくれる女達の妄想へと逃げ込んでしまう。自分を抱きとめてくれると彼が考えたのは、女優であった妻、可愛い愛人、自分の作品に欠かせない美しき大女優、少年の自分を「男」に目覚めされた娼婦、甘えさせてくれたママ、……。しかし、妄想の中で彼女達に甘え、苦しみから解放されても、現実には彼女達はグイドのもとを去っていく。

彼が拒んだがゆえのカルラの自殺未遂から解放されながらも、夫の猟色趣味と仕事一徹ぶりに愛想を尽かし、グイドのもとを去ったルイザのために、遂にグイドは「イタリア」撮影を中止してしまう。だが二年後、抜け殻のようになったグイドをリリーは新作撮影へと誘う。そして・・・・。

この作品の中で、天才映画監督グイド・コンティーニを演ずるダニエル・デイ=ルイスは、悶える「男の色気」を実に魅力的に発散する。グイドを愛さずにはいられない女達に囲まれながら、愛を選べない彼は、やがて彼女達から拒絶される。苦しむグイドだが、そこには「男の色気」が充満しているのです。

そして、「悶える男の色気」を描いたもう一つの作品は、行定勲監督の作品『今度は愛妻家』です。そして、件の「男の色気」を演ずるのは、豊川悦司さんです。

この作品、豊川悦司さんと薬師丸ひろ子さんとが演ずる「凸凹夫婦」のやり取りに、最初のうちは、オーディエンスはクスクス笑うのですが、次第に場内がシ~ンとなり、最後はすすり泣く音が聞こえてくるのですよ。これ、本当ですよ。何も、オーディエンスは、薬師丸ひろ子さん演じる「妻」が亡くなるから、すすり泣くのではないのです。

ストーリーは、以下の通りです。

人物を撮らせたら右に出るものはいない実力有名カメラマンの夫と、夫に尽くす癒し系の妻・・・、ふたりは擦れ違う。言葉も、望みも交わらない。

献身的な妻に、夫は甘える。駄々子みたいに、好き勝手に振る舞い、妻の気持など全く無視。そんななか、子どもがほしい妻は、夫を無理やり沖縄旅行へ連れ出し、“子作り”を試みる。しかし、喧嘩こそ起こらないが、やはり夫は妻の気持を全く省みない。結局、“子作り”は成功せず。

そんななか、東京へ戻る前に、
「夫に自分の写真を撮って・・」と妻、
「カメラ無い」と夫、
「内緒で持ってきてあるの」と妻、
気乗りしないが、渋々カメラを手にする夫、そしてシャッターに手をかけると、「あっ、結婚指輪、ホテルに忘れて来ちゃった!」と妻。ホテルへ戻る妻、しかし、この時不幸が・・・・・、ホテルへ駆け戻る妻は途中交通事故に、そして「死」…。

さて、ここから自信に満ち満ちていた夫は、妻を失い、嘆き悲しみ、仕事も手に就かず、奈落の底へ・・・、と思うのですが、そのようにはストーリーは展開しません。

仕事が手に就かなくなるのは、予想通りなのですが、相変わらず夫は自信に満ち、浮気を繰り返し、GOING MY WAYの生活。彼の世話は、亡くなった妻のお父さん。これがオカマ。そして、弟子。弟子の彼は、学生時代に賞を総なめにした有望で、心優しく彼に献身するカメラマン。

なぜ、彼(豊川さん演ずるカメラマン)は、妻を失って平気であるのか?

それは、妻が幽霊(但し、夫以外は見ることができない)となって、夫の前に出現する為。そして、夫の相手をしてくれる為。幽霊でも、会話も出来る。相変わらず、夫は妻に、甘えられる。

しかし、献身的な幽霊・妻も、遂に堪忍袋の緒が切れる。夫の前から、姿を消す。「死」を迎えても、夫からは姿を消すことが無かった妻が、今後は本当に姿を消す。 

⇒ すいぶんと熱弁しましたが、ここまでは物語の3分の1です。

あとの3分の2は、妻が姿を消してからの、夫のオタオタ振り、混乱振り、不安な様子を描きます。

もちろん、不安と寂しさに駆られ、献身的に支えてくれている、(死んだ妻の)オカマのお父さんや弟子ともギクシャクしだします。待てど暮らせど、幽霊妻は戻ってこない。そして、妻の一周忌を迎えて、いよいよ(死んだ妻の)オカマのお父さんや弟子と、喧嘩に・・・・・。ここで、幽霊妻が最後の別れにもう一度,夫の前に姿を現す。そして、 この後には、感動が・・・・・。

やはりここでも、豊川さん演ずる「夫」からは、「悶える男の色気」が発散されます。不思議なものです。自信に満ち満ちているときこそ「カッコいい」のに、「男の色気」は、苦悩し、悶え苦しむ姿(つまり「かっこ悪い姿」)から発散されるのです。

ダニエル・デイ=ルイスも豊川悦司も、「いい男」です。しかし、彼らが苦悩に苦しむ時、女性は彼らに「男の色気」を感じる。あぁ~、神様は何と非常な悪戯をされるのか……。

本日の『酒の肴』はここまで。

如何でしたか。ご堪能頂けましたら幸いです。

では、また・・・。

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