2010年7月12日月曜日

『親愛なる、石ノ森先生』へ・・・。

天国の石ノ森先生へ・・・。

天国での生活は如何ですか。先生の『絵』で、天国の様子を下界の我々に教えて頂きたいものです。

先生の作品は、本当に『絵』が素晴らしい!と、思っております。数多くのクリエーター達も、「石ノ森先生の『イメージを“絵”にする能力』の素晴らしさ」を賞賛しております。「イメージを“絵”にする能力」というのは多くの感動を呼び起こします。「音」を“絵”にする、「言葉」や「概念」を“絵”にする、このような課題を先生は、見事に体現してしまいます。芥川は“地獄”を描くことを小説にかきましたが、先生には、是非,“天国”という概念を“絵”で表現頂きたいです。その“天国”の先に、希望を見出したいから・・・。

先生の“クリエーターの哲学”とは、『イメージを“絵”にする卓越した能力』が可能にした『萬画宣言』(“まんが”宣言、と読む)!(手塚先生によって確立された)“マンガ”(『漫画』でない)によって、「全てを語ろう!それは可能だ!」というのが、後年の先生の思いだったそうですね。確かに、88年ごろからは『日本の歴史』や『経済の仕組』なども「萬画」で表現しておられました。“ぶっとんだ”発想です。

また、先生は、『若手クリエーターへの伝承』ということを非常に意識されたそうですね。

『がんばれロボコン』『美少女仮面 ポアトリン』『ゼロゼロ ナイン ワン』『星の子 チョビン』といった作品は、「原作 石ノ盛章太郎」となっていても、現実は、先生はキャラクターデザインのみ手がけ、その他は若手クリエーター達の創作ですよね。そうした先生の思いを受けて、『幻魔大戦』『スカルマン』などは、「若手クリエーター達(宮崎先生も石ノ森チームで活躍しました。)が、既存の石ノ森作品に『プラスの価値』を加える方向」で、作品進化させました。ここには、素晴らしい「伝承」が感じられます。

伝承という意味では、『サイボーグ 009』と『仮面ライダー』という2作品は特筆されます。両作品とも未完です。詳細は章を改めます。

ところで、小生が一番好きな先生の作品は、『サブとイチ』です。『化粧師(“けわいし”と読む)も好きです。『サブとイチ』は、TV放送と雑誌連載が、小生が4か5歳のとき開始。TV放映をオンタイムで見ていました。コミックは、1999年に購入して全部読みました。今でも、時々コミックを押入れから取り出して読みます。

先生は、『TV放映』と『雑誌掲載』とを明確に分けて捕らえておられましたね。先生は、「TV放映を観る」という行為は子供達でもできるが、「雑誌を読む」と言う行為は少年・青年によって行われる、という認識をされていたそうですね。最近、『仮面ライダー』『キカイダー』といった作品のTV版とコミック版とを拝見する機会がありました。両作品とも、『コミック版』は、登場人物の深層心理描写が綿密に行われ、純文学作品のような内容であることを知りました。

 さて、『サイボーグ 009』について語りましょう。小生は、 1・2シリーズのTV放映とコミックを知っていました。『仮面ライダー』は『進化するヒーロー』として、『サイボーグ 009』は『変化しないヒーロー』として伝承させてほしい、というのが先生の思いだそうですね。『サイボーグ 009』・第3シリーズ終了後、先生は亡くなられました。しかし、そのなかの「2作品」が完成を見ないままになっております。

 内容は、ブラックゴースト団との戦いをおえたサイボーグ戦士たちが、『天使たちとの戦い』 『神々との戦い』を行うと言うものです。これを『完結』させてほしい、ということを先生は、生前、二人のご子息に依頼したそうですね。『完結編』のストーリーを長男(小野寺 ジョー:俳優・作家として活躍。しかし、石ノ森章太郎の長男であることは隠しておられます。)に、映像化を次男(小野寺 章:石ノ森プロダクション社長)に託されたそうですね。

 現在、『完結編』の1章から4章までが「小説 1巻」として出版されています。ここで、001から004までのことが描かれています。この作品の、『敵のブラックゴーストの正体は、人間の「悪の部分」が増殖させた細胞体』、『神々は、人間の“おろかさ”に幻滅し、人間は生存をかけて神々と戦う』という設定に興味を覚えます。こうした「イメージ」を、「映像」できる先生の「才」に敬服します。

『仮面ライダー』についても触れたいです。小生は、 1・2号ライダーの活躍をTV放映で観ただけです。
「仮面ライダー」は、「進化するヒーロー」、ですから現在もTV放映・雑誌連載されています。
歴史は、
①「1号」から「ストロンガー」までが第1期。
最後、7人のライダーが『悪の総統』と戦う、と言うストーリーです。「結局7人のライダー達が戦ってきた『悪の総統』は同一人物で、最後は宇宙へ脱出という設定です。この「第一期」に主人公を務めた俳優さん達には、基本、「高い運動神経」「バイクを操作する能力」「アクションスターとしての訓練」が求められました。当時、斜陽になった映画業界から、たくさんの若いクリエーター達が『仮面ライダー』の作成チームに加わり、再起をかけた若い意気込みが、素晴らしいパフォーマンスを体現した(最高視聴率30%)ということを、昨今知りまして感激しました。

②「スカイライダー」数本の映画作成を経て、「ブラックライダー」の誕生が、第2期。
石ノ森先生が携わった最後の「仮面ライダー」TVシリーズだそうです。ブラックライダー シリーズでは、「悪のライダー」と戦う、というコンセプトになります。『「自分の敵」は「自分』 『未完成の自分の進化』など、石ノ森作品の基本コンセプトが表現されています。キャラクターデザインセンスも抜群です。

③数本の作品作成を経て、石ノ森先生の死後、2000年から『平成ライダー シリーズ』として、第3期があります。私も、『平成ライダー シリーズ』というのは、全く知りません。唯、数本、最近鑑賞する機会がありました。そこで感じたのは、(我々が観ていた)第1期との差異です。以下、小生の差異を簡単に述べます。(Ⅰ)デジタル映像による映像。・(Ⅱ)主人公を演じる俳優は必ずしもアクションスターである必要はなくなった。俳優としての演技力を強く求められている。(例えば「仮面ライダー クウガ」の主役が、あのオダギリジョーさんだったのには驚きました。でも演技は素晴らしかったです。) ・(Ⅲ)設定コンセプトは複雑になり、1話完結でない。主人公も、『完全ヒーロー』でなく、「食事シーン」などもあるのには驚きました。そして、「仮面ライダー 龍崎」などは、13人の仮面ライダーが、最後のひとりになるまで互いに戦うというストーリーであったのには本当にビックリです。

『仮面ライダー』シリーズに関して、今日までに小生が思っていることを述べれば以下のようになります。
①『仮面ライダー』とは、コンセプトの設定・「毒」を感じるキャラクターデザイン・悩むヒーローなど、石ノ森作品の要素が終結した集大成作品だと思います。
②「進化しながら伝承される作品」としての一面を『仮面ライダー』は持っている。
③若いクリエーター達が、「活動・活躍の場」として、この『仮面ライダー』を育ててきた。

しかし、こうして改めて先生にお手紙を書き綴っておりますと、石ノ森章太郎という「クリエーター」の輝くパワーに叱咤激励されるような気持になります。「イメージを大切にする。」「伝承」「進化」、いずれもクリエーターには大切なことです。

本日、梅雨の雨を愛でながら、先生の『サブとイチ』を手にしております。何度読んでも、面白く、画面の斬新さには常に新たなる発見を見出します。

映画館では、『仮面ライダー』の新作が上映されております。さすがに、チケット売り場で、「仮面ライダー、大人・1枚」というのは恥ずかしいので、劇場公開作品は鑑賞することが困難です。劇場公開作品と言えば、古の『空飛ぶ幽霊船』などの作品は、小生、いまでもその内容を覚えております。衝撃的な作品でした。

もう、石ノ森先生の新しい作品を観ることはかないません。しかし、また、若きクリエーターが先生の「才」を継承し、新たな作品を我々に紹介して下さると思います。そんな若きクリエーターの出現を楽しみにしながら、ここに筆を置きたいと思います。

石ノ森先生、有難う御座いました。

0 件のコメント:

コメントを投稿